チャーポロ方面には
 アタシらの世代、つまり1960年代後半の生まれで、しかも関西で育った人で「一度もアニメのど根性ガエルを見たことがない」って人は皆無じゃないでしょうか。
 ってちょっと待てよ。アニメの「ど根性ガエル」が放送されてたのって1972年から2年間でしょ?3歳から5歳くらいまでのこととかそんな憶えてないだろ。だいたい誰もが見てたってほど視聴率が良かったのかよ、と。
 しかしこれにはカラクリがあるわけでして。
 
 キチンと調べたわけではないので正確なところはわかりませんが、1980年代前半までのテレビと言えば、平日夕方のタイムテーブルは再放送枠になっていたはずです。
 曖昧な記憶のままで書いてしまうけど、16時から一時間はドラマの再放送で、17時からは子供向け番組、つまりアニメや特撮モノの再放送をやってたわけです。子供向け番組は大抵30分だから一時間枠で二種類やるという。
 もちろんこれはアタシが生まれ育った関西での話
 ですが、おそらく関東も他ローカルも似たようなものだったんじゃないかね。
 ただしここから書くことは全国的にってことじゃなかったと思う。
 例えば朝日放送は夏休みの期間、平日の午前中に「夏休み子供大会」みたいな枠でアニメの再放送をやっていました。
 この枠でほぼ100%の確率でやってたのが「ど根性ガエル」で、もういったい何度「ど根性ガエル」を見たかわからない。つかこのトシになっても夏になると「ど根性ガエル」を思い出すレベルでして。
 んで、これは関東での話だけど、1979年には何と34.5%という驚異的な視聴率を記録している。念を押しておくけどこれは<再放送>だからね。再放送でこんな視聴率だったってだけでアタシらの世代がいかに「ど根性ガエル」が普遍の存在か理解していただけるのではないかと。
 
 再放送の話を続けます。
 よみうりテレビに至っては18時からの30分間もアニメの再放送枠にあてており、この枠でとくによくやっていたのが「侍ジャイアンツ」と「はじめ人間ギャートルズ」だったように記憶しています。
 中でも「ギャートルズ」は非常に印象深い。
 アニメそのものもだけど、「ギャートルズ」と言えば何と言ってもエンディングテーマ、曲名は「やつらの足音のバラード」です。
 これね、大学時代によく歌った歌でね、誰かが「おい、かまやつひろし、やってよ」となったらギターを弾く奴は確実に「やつらの足音のバラード」をやったという。
 
 ♪ なんにィもない なんにィもない まったくなんにィもない~
 
 この「やつらの足音のバラード」という曲は男性女性かかわらずアタシら世代ならほぼ知ってました。それくらい「ギャートルズ」は(少なくとも関西地方では)繰り返し再放送をしてたから。
 「やつらの足音のバラード」の作詞者は原作者でもある園山俊二。んで作曲はかまやつひろしです。
 ただし歌唱はかまやつひろしではない。つか当時、下手したら今も勘違いされてる人も多いような気がするんだけど、少なくとも「ギャートルズ」のエンディングテーマを歌っていたのは<ちのはじめ>という人です。かまやつひろしも1990年代になってカバーしたけど、ま、オリジナル歌手ではないということになる。
 そういう意味で<ちのはじめ>って人がちょっと不憫だな、と思ったり。
 
 これね、リアルタイムで再放送枠を知ってる人からすれば当然なのですが、「ギャートルズ」は非常に珍しいエンディングテーマ付きだったんです。
 と言うのは当時の再放送枠ではエンディングテーマがカットされるケースがほとんどで、先ほど書いた「ど根性ガエル」もエンディングテーマはカットされていた。だから「ど根性ガエル音頭」とか「ど根性ガエルマーチ」とかはレコードでしか聴いたことがなかったんです。
 例外と言えるのは「はじめ人間ギャートルズ」と、あの長いメランコリックな曲が特徴的な「今日も何処かでデビルマン」がエンディングで使われてた「デビルマン」くらいで、あとは軒並みカットの憂き目にあっていた。
 しかしもちろん、カットされている=とるに足らないエンディングテーマだなんてことはなく、「キューティーハニー」のエンディングテーマ「夜霧のハニー」なんか、文句なしの名曲だと思う。
 歌唱は<古き良き>時代の弘田三枝子をマイルドにしたような、パンチのある歌唱が特徴的な前川陽子。いやぁ、この人の歌はホントに好きです。
 「おんぶおばけの歌」とか、もう本当にすごいもんね。三保敬太郎のエネルギッシュかつファンクなアレンジに乗せて、カラスや馬の鳴き声をパワフルに、そしてキュートにシャウト出来るのは前川陽子くらいでしょう。
 
 ただし「夜霧のハニー」は前川陽子の曲の中では異質で、しっとりと、哀愁を込めて歌っている。たしかに<正調前川陽子節>ではないけど、これはこれでものすごく良いんですよ。
 アタシはね、空港へ行くと何故か「夜霧のハニー」を思い出すんです。たぶん「ジェットストリーム」と被ってるからなんだろうけど、不思議と「ジェットストリーム」自体は思い出さずに「夜霧のハニー」を思い出すという。
 てかまず「ジェットストリーム」の説明がいるか。
 話が逸れるから簡単に言うと、今もFM東京で平日の夜中の0時からやってるラジオ番組です。
 何しろJAL一社提供だから、空の旅をテーマにしたっつーか、まるでフライト気分でそれっぽい音楽とナレーションが入るんです。ま、BSの夜中にやってる「音楽のある風景」の飛行機版とも言えるけど。
 アタシはこの番組が好きでね。っても今のじゃない。今の人が悪いわけじゃないけど、やっぱパーソナリティが城達也でないと気分が出ないんです。
 
 しかしさ、これ、これっても「ジェットストリーム」じゃなしに「夜霧のハニー」のことだけど、何で再放送でカットされてたんだろ。
 たしかに再放送ではエンディングカットが基本だったとはいえ、「やつらの足音のバラード」とか「今日も何処かでデビルマン」とか、これを入れないと作品の<味>が変わってしまう場合はカットせずにいたのにさ。それを考えるなら「夜霧のハニー」も余裕でその域だと思うんだけど。
 
 さてさて、長々と1970年代に放送された懐かしアニメのことを書いてきましたが、「ど根性ガエル」にしろ「はじめ人間ギャートルズ」にしろ「デビルマン」にしろ「侍ジャイアンツ」にしろ「デビルマン」にしろ「キューティーハニー」にしろ、これらはいわば「メジャーどころ」の作品です。
 しかし今とは比べものにならないくらい多種多様のアニメが作られていた当時、誰の記憶にもとどまってないような泡沫アニメもずいぶんあったんです。
 そういえばモンド映画、というジャンルがありますが、ヤコペッティが撮ったようなモキュメンタリー(フェイクドキュメンタリーのこと)映画、中でも残忍で生々しい生態や風習を描いた映画を指すのですが、だんだん言葉の意味が変化していったように記憶しています。
 
 気がつけば、モンド、という言葉がひとり歩きして、何といったらいいのか、「ファニーでマニアック、しかしオシャレではない」作品全般を指すようになった。なったのか?
 というかこれは必然だったんですね。
 人々の関心が「未開の地」の生態や風習に向かなくなって、その代わりに「未」は「未」だけど、未発見は言い過ぎにしても、ほとんど知られていないテレビ番組、映画、CM、なんていう文化に興味が行っちゃった。
 珍しければ珍しいほど良し。ヘンテコであればヘンテコであるほど良し。オシャレでなければオシャレでないほど良し、みたいなものがマニア心をくすぐる時代というか。
 逆にいえば、幻の「名作」なんて彼らは探していない。尺度に「作品の出来」は入ってないから当然ですが、むしろ出来の悪い珍奇なものほど有り難がられる、みたいな。
 
 インターネットの時代と言われる21世紀になって、一躍注目をあびる1970年代の泡沫アニメが出てきました。
 中でもとくに注目されたのが「チャージマン研」と「星の子ポロン」でしょう。
 どちらも泡沫中の泡沫アニメですが、「星の子ポロン」はブームになる前の、かなり早い時期にブログで触れた記憶がある。あるはずなんだけど、どうも該当エントリ見つからない。うーん、たしかに書いたはずなんだけどなぁ。
 とにかくこの「星の子ポロン」、今の目で見たら、ここまでヘンテコなアニメもちょっとない。一話一分という超短編アニメなんですが、こんなマイナーなアニメなんか普通なら知ってるわけがないんだけど、アタシはたまたま、たしか高校生くらいの時にサンテレビで放送していたから知ってたんだよね。
 一応啓蒙アニメなんだろうけど、ぜんぜん啓蒙になっておらず、映像の汚さも相まって、見てはいけないものを見てしまった、みたいな感覚があったことをありありと憶えています。
 というのは内容もさることながら、単純にアニメーションとしての出来が酷い。とにかく絵が動かない。にもかかわらず声優が野沢雅子ってのがね。
 言っとくけど「野沢雅子が売れてない頃の仕事」じゃないよ。これ以前に「ど根性ガエル」のひろしのような、人気アニメの主役級の声を充ててるんだから。というかリアルタイムで見ていた時でさえ「あ、これはひろしの声だ」ってわかるくらいだったし。
 なんで野沢雅子のような人気声優がこんな極端に低予算なアニメに起用されたんだろ。
 
 今は「星の子ポロン」を研究しているサイトはいっぱいあって、アタシもこのエントリを書くにあたって参考にさせてもらったけど、アタシ自身は研究しようという気にはなりませんでした。
 そういや、もうとっくに縁が切れてるけど、知人がこの手の「モンド」的なものが好きで、今でも研究しているようです。
 アタシもね、こういうのは嫌いじゃないんですよ。でもそこまで熱心にはなれなかった。
 では今アタシが何を研究しているかというと、戦前の日本映画です。それも音楽映画。本当に骨が折れる作業がいっぱいで、そりゃヴォーカルだけなら簡単なんですよ。でも演奏者ひとりひとり誰が演奏しているのかを探ろうと思ったら、とんでもない重労働になるっつーか。
 南旺映画の「笑ふ地球に朝が来る」(1940年)みたいに演奏者全員がクレジットされてたらいいけど、そんな映画は他にない。当時のジャズメンには顔写真さえ残ってない人も多いし、それを完璧に当てはめていく、なんてマジで途方もない作業です。
 これもね、マニアックといえばマニアックなんです。でもモンド感はゼロです。今の目で上手い演奏かどうかはさておき、少なくともヘンテコさも珍奇さもまったくありません。それどころか、心の底では「これこそが王道だろ」みたいな意識すらある。
 モンドの人は違うもんね。研究対象が絶対に王道ではない、むしろ王道になられちゃ困るもんばかりだし。
 
 何ていえばいいのか、アタシはマニアの中でもふた通りあると思っています。
 ひとつは時代が時代なら王道となるべきもの(逆にいえば時代が時代だからマニアック扱いされているもの)を研究すること、もうひとつは「時代関係なくマニアックでしかないもの」を研究することです。
 アタシはあきらかに前者なんです。後者も興味がないわけじゃないけど、遊びレベルの興味しかない。「星の子ポロン」も「チャージマン研」も新しいフィルムが発見された、とか聞くと良かったなぁとは思うけど、では「それをカクカクシカジカのイベントで上映します」となっても、絶対に行かない。
 これがもし「うら街の交響楽」(1935年・日活)のフィルムが発見されて上映されたら、アタシはすっ飛んで行く。嫁を質に入れてでも行く。嫁いないけど。
 
 世間では「マニアック」と一括りにされるけど、結構このふたつはタイプが違う。たぶん両方の資質を持った人なんていないような気がする。それくらい距離がある。
 とにかくアタシは「チャーポロ方面」(言うまでもないけど「チャージマン研」と「星の子ポロン」の造語ね)には行かなかったし行けなかった。
 でも応援はしていきたいとは思っているんですよねぇ。
 
 
 (初稿 2005年5月31日更新「前川陽子のこと」、2017年1月22日更新「チャーポロ方面には」、2017年3月7日更新「唄はなつかし・夜霧のハニー」、2017年12月6日更新「唄はなつかし・やつらの足音のバラード」他・改稿 2019年5月20日)