遺伝子ドーピング
 藤子・F・不二雄の作品で「21エモン」ってのがあります。個人的には大好きな作品だし、文句なしの名作といって差し支えないんだけど、映画化、さらにはテレビアニメ化までされたものの派手な人気は得られませんでした。

 F作品は「日常の中に非日常を持ち込む」ことを常套にしていますが(これはA作品にもいえることだけど)、「21エモン」は正反対で、非日常の中で日常を描くことに注力しています。
 21世紀を舞台に、未来社会の中で現在(当然作品が描かれた当時の)と何ら変わらぬ日常を描いているのですが、やはり「ドラえもん」なんかと比べると頭の切り替えが必要なことには違いなく、わっと人気がでるのは難しいのはわかるんです。

 ざっくり21世紀と書きましたが、「21エモン」はだいたい50〜60年後の未来社会という風に設定されています。連載がはじまったのが1968年ですから、計算すると、ほぼ今現在、ということになる。
 んで調べたら、どうも初期の設定では2023年って設定だったみたいですね。ついでにいえば「第一回宇宙オリンピック」が東京で開かれたのが2014年。ってもう終わってんじゃん。
 まあ数年前に宇宙オリンピックが開かれたくらいだから、当然街中に宇宙人が溢れかえってないとおかしい。ところが現実は宇宙人どころか民間人の宇宙旅行も夢のまた夢なわけでして。

 まァさすがに宇宙人とか宇宙旅行は絵空事だとしても、「21エモン」で描かれた21世紀の東京の姿と現実の今現在の東京の違いはものすごいもんがあります。
 いや、マジで子供の頃はね、いつか「21エモン」の作中世界のようになると思ってたんですよ。でもいつまでたってもパイプの中を人間がびゅーと通るみたいなシステムができそうもないのは悲しい。つかリニアモーターカーだって開通まであと何年かかるだって話で。
 そういや「21エモン」でもやたらとピチッとしたウエットスーツみたいな服を着てますが、ああいう服も流行らないね。まあ現実に考えたら嫌だわ。体型丸わかりだもん。

 アタシは何も無粋なツッコミがしたいわけじゃない。それよりも、何で日常すぎる日常をベースにしてきた藤子Fが「未来の世界」が舞台の作品を描いたかです。
 「21エモン」の連載が始まった1968年、奇しくもアタシが生まれた年になるんだけど、この頃「未来の世界」の想像図みたいなのが流行ってたんですよね。
 実際、週刊少年漫画誌や小学館の学習誌によく「これが50年後の東京だ!」みたいな特集がされていました。
 中でも大伴昌司の未来予想図は<希望>を上手く吸い上げており、少なくとも暗い未来を予測して読者を絶望させる、なんてことはなかったわけで。

 これらは50年前の科学から50年後、つまり<ほぼ今>を予測してあるんだけど、まァ、見事に外れている。もちろん外れているのは悪いことではないんだけど、では何故外れたかというと「科学があらぬ方向で発展した」からに他ならないっつーね。
 ネットにも散々画像がアップされてるから見たことがある人も多いと思うけど、50年前に予想された50年後と実際の今現在は何もかも違うわけで。

 他の人も描いてたから大伴昌司や藤子Fによる予測だけではないけど、自動車は空を飛ばないし、パイプの中を人間がピューっと移動しないし、あんなウェットスーツみたいなピタピタな服とか誰も着てない。
 んで新聞が自動的に送られてくるみたいな予測はあるのに、インターネットなんてもんは何も予測されていない。
 これね、「予測」という当たり外れがわかりやすい形で提示されているのがミソなんです。
 今現在の科学的常識から50年後を予測しても、絶対にトンチンカンな予測にしかなるはずがないんですよ。それくらい近い将来実現出来るだろ、みたいなことが実現出来なかったり、逆に考えもつかない技術だったり、それは主流にはならないんじゃないかと思えるものが大きな発展を遂げたりするのが普通ですから。

 だからどうもね、アタシは今現在の科学的根拠をまるで信用していないのです。と書くと感情論とか根性論みたいになっちゃうんだけど、そうじゃない。
 言いたいのは「科学の発展は今が頂点でも極限でもない」ということなんです。
 科学的根拠、なんてのはあくまで今の科学から根拠を導き出しているわけで、これが将来的にまったく、180度ひっくり返らないとも限らない。つかむしろそっちの方が普通だとさえ思っているんです。
 かつては薬だと信じられて普通に処方されていたものが実は劇薬で簡単に(服用せずとも)死に至らしめたり、なんて話は珍しくない。
 今の時代の人はそれらの話を聞いて嗤うだろうけど、でも今の時代に特効薬なんて言われているものが実は劇薬で、50年後100年後の人が「21世紀初頭の人間は何て莫迦なんだ」と思われる可能性もあるんです。

 話は変わるようですが、2004年におこなわれたアテネオリンピックの頃から<遺伝子ドーピング>なるワードが登場しました。
 ドーピング自体はそれこそ大昔からあるけど、これは最先端っつーか、遺伝子を操作することによって肉体の<作り>を、ひいてはスポーツとしての記録を大幅に更新することが可能、なんて言われています。
 しかも検査が非常に難しい、いやもっとはっきりいえば、やってるかやってないか見分けるのはほぼ不可能らしいのです。

 アテネオリンピックからずいぶん時間が経ちましたが、では今、遺伝子ドーピングがどうなっているかといえば、これが全然わからない。検索しても「肉体的に危険」とかそんな記事ばっかで。
 まあね、しょうがないんですよ。やってるかやってないか、つまりクロかシロかわからない以上、アテネ以降のオリンピックでもどの程度クロがいたかなんてわからないんだから、今ここまで蔓延してます!なんてわかるはずがないっつーか。

 遺伝子に関する知識なんか全然ないからね、アタシは。ただ身内にそういうのを研究してる人がいて。
 といっても怪しい機関じゃないですよ。世界でもトップクラス、いやもうトップといい切っていいくらいの研究室だから。いうちゃなんだけど、某理研よりずっとレベルの高いところ。何しろ何人もノーベル賞出してるからね。
 んで以前、その人に遺伝子について結構聞いたことがあって。彼は偉ぶる人柄じゃないので、全然知識のないアタシが噛み砕けるように話してくれたわけです。
 で、彼曰く、もしかしたらあと数年で遺伝的な病気はなくなるかもしれませんよ、と。

 どうも遺伝子の研究ってのは、わりとここ数年ターボがかかってる状態らしいのです。解明されるまであと10年ほどかかる、と思われてたものが、その半年後に実現したりとか。
 さきの遺伝子ドーピングのこともそうですが、やろうと思えばかなりのことができるレベルにまでなってるらしい。
 とにかく世紀の大発見なんかなくても、今実用化に向かってるものが実現できただけでも、もういろいろ一変する、らしい。らしいばっかで情けないけど。
 もちろんもっと手軽に遺伝子ドーピングなんかが可能になってしまう側面もあるとは思いますが、この辺のことはクローン技術と一緒で倫理の問題だからな。きちんと議論はしなきゃいけないけどね。

 ただし、ここまで出来るようになりかけているにもかかわらず、そして今もって日々<ターボがかかった状態>で新しい研究成果が出ているにもかかわらず、それでも、こと人体だけに限ってもわからないことが多すぎるらしい。
 そんな話を聞かされたから余計になんだろうけど、コレは身体に良い、コレは悪い、なんて、何で言い切れちゃうんだろ、といつも疑問に思うんです。
 ちゃんとした医者が処方した薬ならまだしも、健康食品の類いなんて今の科学的根拠すら怪しいわけで、その人が飲むのは勝手だけど、むやみに他人に勧めるなんてどうかしてるとしか思わない。

 これならまだ「おばあちゃんの知恵」みたいな話の方がはるかにマシだな、とさえ思っちゃう。
 おばあちゃんの知恵レベルの「こうした方が身体に良いよ」なんてのには科学的根拠はまるでないけど、代々受け継がれてきたという統計学的な信用はあるわけです。
 もう一度言うけど、世界でトップクラスの機関で遺伝子の研究をしている人間が「人体の解明なんて、まだまだ」なんていうレベルなんですよ。そんな状態の科学的根拠と統計学的根拠なら、統計学的根拠の方を信用しても当然なんじゃないかねぇ。

 アタシは理系でもなんでもないけど、科学的進歩なんて話が大好きです。だから中学生の時から当時の最先端だったマイコンなんてもんに淫していたわけでね。というか新し物好きという血統がある以上、科学的な話が嫌いなわけがない。
 一方、占いだのご祈祷だのは<マヤカシ>としか思っていない。その人が占いにハマるのはその人の勝手なんでぜんぜん構わないけど、何かっつっと周りの人を巻き込もうという人が多くてウンザリなんです。

 そんなアタシでさえ、今の科学的根拠ほどアテにならないことはないと思っている。
 科学はまだまだ発展します。21世紀初頭に生きる人がまったく想像もしない方向に発展するだろうし、どれくらい時間がかかるかわからないけど、いずれ人体のすべてが解明される日も来るはずです。
 実際にそうなったらどういう気分になるかはわからないとはいえ、想像の範疇ならこれほどワクワクすることもない。
 そんな頃にはとっくにアタシという人間はくたばってるんだろうけど、タケコプター?あんなの簡単な原理じゃん。子供の工作レベルだよ、なんてこともあるかもしれないし、誰も予想出来ないトンデモない人類の歴史を根本的に覆すようなことが出来ないとも限らない。

 そんな可能性を信じている、ある意味異様に科学盲信が強い人間からすれば、今現在の科学なんて中途半端もいいところなんです。
 だから科学的根拠を一切信用するなってことじゃないんだけど、どうしても限定的な信用になってしまうのは、これはしょうがないんじゃないでしょうかね。
 なんだか妙にアカデミックなエントリになりましたが、まあただの受け売りですから。


 (初稿 2004年9月3日更新「新造」、2012年5月26日更新「2014年まであと1年ちょい、2023年まであと10年ちょい」、2014年9月3日更新「じゅうねんひとむかし・9月3日号」、2018年7月6日更新「科学盲信」他・改稿 2019年1月28日)