例外のダウンタウン
 - ダウンタウンはもっと売れてもよかった

 かつてこんなことを、アタシは友人に言ったことがあるらしい。しかし残念ながらいつ、どういうタイミングで発言したのか、一切憶えていません。
 ただ、ああ、如何にもアタシが言いそうなことだな、とは思った。というのもですね。

 yabuniramiJAPANなるサイトを読んでいただいている方にはお判りになってもらえると思うのですが、ダウンタウンは本来アタシが興味を持つタイプのタレントではないのです。
 やや詳しく説明するなら、アタシが本当に興味がある、好きなタイプのタレントはクレージーキャッツやドリフターズ、エノケン、といった<音楽ベースの笑い>をやってる人たちです。
 そりゃたしかにダウンタウンも<音楽+笑い>をやってたことはある。しかし彼らの場合、音楽は後付けであり、バンドマン特有のジョーク感覚を発展させたクレージーなんかとは根本的に異なるわけでね。
 もうひとつ共通点があるとするなら、先に挙げた人はすべて関東系の人だと言うことです。
 アタシ自身は神戸の出身です。だから子供の頃から関西系の笑いを浴びるように見てきたし、当然好ましいと思う人もいっぱいいました。
 しかし逆に言えば、関西系の人は<好ましい>で止まってしまう。<のめり込む>まではいかない。面白いのは面白いけど、のめり込むほどでもない感じ、と言うか。

 そうした中でダウンタウンは<例外>の存在として、突如浮上してきたって感じでした。
 アタシにとってのダウンタウンという存在は女性に例えるとわかりやすい。
 純粋に顔だけで見れば、まったく好みの系統ではないし、何よりぱっと見の雰囲気も好きじゃない。
 けど他の箇所が完璧っつーか、話は合うわ、価値観も同じだわ、料理は上手いわ、アッチの相性も抜群だわ(失礼)、とにかく最初の印象以外は何もいうことがない、そんな感じなのです。
 ま、ダウンタウンの女体化は無理矢理だけど、実際人気が出てきた当初のダウンタウンは漫才、コント、司会と「本当に器用に、何でも高いレベルでこなせる」人たちだった。一見不器用そうに見える見た目からすれば、それは驚異的ですらありました。
 ま、器用なのがアダになる芸人も山ほどいるんだけど、ダウンタウンの場合は器用貧乏どころか「器用富豪」と呼んでもいいレベルだったっつーか。

 デビュー当初のダウンタウンは「いとし・こいしに似ている」と言われたほど、恐ろしくゆったりテンポの漫才をやっていました。
 ちょうど「マンザイブーム」とやらが終わったくらいの時期でしたが、マンザイブームを支えたのは、東ではツービート、西では紳助・竜介でした。
 どちらも異様にテンポの速い漫才で、慣れてないと何を言ってるのか聞き取れないほどだった。
 しかし、さらに、彼らよりも速い、というかツービートと紳助・竜介にたいしてあきらかに影響を与えた、超高速漫才をやっていたのがB&Bでした。
 B&Bの影響で、マンザイブームで名を上げた漫才コンビはみな本当に速かった。唯一の例外はザ・ぼんちですが、彼ら以外はほぼ超高速漫才という潮流に乗っていたのです。

 マンザイブームという名のブームが去った後に、漫才としてデビューする。いわば落ち目とも言えるジャンルに新人として入るってのは、これだけでかなりのハンデキャップになります。
 こうなるとマンザイブームのマンザイとは違う漫才を見せるしかない。アタシには松本の方にこういう計算があったんじゃないかと思うんです。
 マンザイではなく、漫才である。これを観客にアピールするには、マンザイブームの象徴である超高速漫才をやらずに、逆に、いとし・こいしレベルまでスピードを落とす。これなら一聴でマンザイとは「違う」とわかる。
 ただしこれは相当な技術がないと不可能な芸です。デビューしたばかりの新人のやることじゃない。
 しかし「松本・浜田」なるコンビは見事にやってのけた。ベテランさえも「ボロが出やすい」と尻込みするような、ゆったりテンポ漫才を完璧にやれたんです。

 そのせいで、ありがたくないレッテルも貼られた。「ボソボソ喋る」「暗い」「ジジくさい」などです。
 しかしダウンタウンは潮流に逆らうためにあえてゆったり漫才をやっただけで、超高速漫才さえやれる技術があった。
 アタシがそう思う根拠は、たしか「ダウンタウンのごっつええ感じ」だったと思うけど、早口言葉をやらせたらね、もうダウンタウンのふたりが圧倒的に上手かったんですよ。他の芸人とレベルが違いすぎた。
 ダウンタウンは滑舌が悪いから、超高速で喋れないから、ゆったり漫才をやってたわけじゃない。
 どっちも出来る。しかし埋没しないためにあえてゆったり漫才で勝負する。
 こんな<新人>漫才コンビがいたなんて信じられない。アタシが「器用富豪」と呼ぶのもお判り頂けるはずです。

 彼らが売れて以降、ものすごい数の「ポスト・ダウンタウン」という名のダウンタウンを模倣しただけの新人漫才コンビが続出しましたが、当たり前ですが誰もダウンタウンになれなかった。近づくことすら無理だった。
 彼らはひたすらダウンタウンの表層<だけ>をなぞった。やや猫背で現れ、マイクに向かって無表情でボソボソ喋る。ボケは本筋に無関係な唐突(本人たちはシュールのつもり)なボケを詰まらなそう顔で発し、ツッコミはというと、ただ怒って大声張り上げて叩く(蹴る)。
 もうこう書くだけでホンモノとはまるで違うとわかるはずです。
 まずダウンタウンは猫背ではない。一見ボソボソ喋ってるふうだけど、滑舌は異様にいい。松本のボケは本筋に関係ないボケではなく、そもそも本筋自体がシュールな展開になっている。浜田のツッコミも、よく見ると実に表情が豊かで、時には一緒になって笑い、時には感心し、時には呆れ、そしてここ一番でツッコミを炸裂させている。
 目標にしているはずの、つまりは尊敬しているはずのダウンタウンというコンビの分析さえちゃんと出来ていないわけで、こんな人たちがポストダウンタウンになれるわけがなかったのです。

 本人たちはあまり言いたがりませんが、ダウンタウンが先人たちの研究・分析を怠らなかったというのは今では定説になっています。
 松本は「実は若い頃からマルクス兄弟やモンティパイソンを相当研究していたのではないか」と言われ始めていますし(そういう証言が出てきた)、浜田もツッコミという芸を完全にマスターするために、空き時間にはずっと先輩の漫才を袖で見ていたらしい。
 さて、アタシの大学の先輩で、ダウンタウンの後輩になった、つまり芸人になった人がいたのですが、正直あまり面白くなかった。大学の先輩の方がボケで、相方がツッコミでしたが、ツッコミがあまりにも凶暴すぎて、ボケがオロオロしてしまう。それが笑いにならずに哀れにさえなっていたんです。
 ところがアタシが大学を卒業した後、1、2年した頃かな、久しぶりに花月で先輩たちの漫才を見たら、見違えるほど面白くなってた。とくにツッコミが劇的によくなってる。
 アタシは後で先輩に「何かメチャクチャ変わりましたねぇ」と相方のツッコミを讃えたのですが、先輩の話を聞いて心底驚いた。

 「あれなぁ、あいつ(ツッコミ)、浜田さんにアドバイスもろてん。『お前、ツッコんだ後、何でもええからニコッと笑え』って。それから急に変わった」

 他人にアドバイスする、ということほど難しいことはありません。アドバイスした相手に「それは自分の技術では出来ません」と思われたら、それでお終いです。だからどうしても、ある程度誰にでも出来ることを言ってみるんだけど、レベルが低くて誰でも出来る分、有益になりづらいという欠点がある。
 この場合「ニコッと笑え」というのは、間違いなく、本人の意思さえあれば出来る、まァレベルの低いアドバイスです。しかしすごいのは、たったこのひと言だけでツッコミのすべてを、ひいては漫才そのものを変えてしまったことでしょう。つまり「誰にでも出来るアドバイスで漫才そのものを劇的に良くしてしまった」ということになる。
 これがどれほどすごいことか。この話を聞いた時、アタシは震えが止まらなかったのを今でも思い出します。

 もちろん浜田は思いつきでこんなアドバイスを送ったわけではありません。漫才とはなにか、ツッコミとは何かを完璧に掌握していないと、こんなアドバイスが出てくるわけがない。
 完璧な理論を簡素な言葉で説明する、こういうのを「カンドコロを突いたアドバイス」っていうんだと思うのです。
 カンドコロというのはコロンブスの卵みたいなもので、後から聞くと「なぁんだ、その程度のこと?」みたいに聞こえる。道程としてはことの外短い。だから「こんなこと誰にでも思いつく」と思ってしまいがちです。特に社会経験が浅い若い時なんかは。
 逆に道程は長いけど辿っていけば誰でも導けるようなものは「カンドコロ」とはいえない。でも「自分はこれだけ深く考察できている」と勘違いしやすいんですがね。

 さて、昨今のダウンタウンは、年齢的なこともあって新しい動きはほとんどありません。松本はあまりにも悪評が過ぎたせいか映画を撮らなくなったし、浜田もあれだけの「声」を持っていながら音楽活動には消極的です。
 別に新しいことをやればいいってもんじゃないんだけど、個人的希望を書けば「ダウンタウンというコンビ」だけの「作品」を作って欲しいな、とはずっと思ってる。
 コントでもいいし歌でもいい。映画でもCDでもOAVでもいい。とにかく後世に残すべくものを二人だけで作って欲しいんです。
 ダウンタウンはあまりにも幅広い活動をしてきた。それはもう最初に書いたように「器用富豪」だったからこそ可能だったのですが、あまりにも幅が広すぎて、後世から見たらダウンタウンという特殊なコンビの特徴を掴みづらいと思う。実際ダウンタウンを司会でしか知らない世代も増えてきているわけだし。
 いわば総決算ですよね。ま、そんなもん普通なら作る必要はないし、誰も求めていない。
 しかしダウンタウンは例外です。こんな人たちが後世に正しい能力が伝わらないなんて、あり得ない。絶対にやっちゃいけない。
 何というか、あまりにも活動範囲が多岐に渡りすぎている=後世からは全貌が見えづらくなるのは必至であり、だからこそ、総決算的にまとめてくれないと困るんです。
 興味本位の時点で「ダウンタウンのメディア化されてるもの全部見ろ!」なんて言われて見るわけないから。

 もうそろそろ、やるタイミングになってんだけどね。これ以上早ければ総決算にならないし、遅ければ能力を発揮出来る年齢じゃなくなる。
 やって欲しいなぁ。全部入りの、それも新作。漫才もコントも、歌も司会も、全部詰まったヤツ。
 正直言って松本人志監督の映画よりも、そっちの方がよほど見たいんですよ。


 (初稿 2005年1月10〜14日更新「ダウンタウンのこと」、2015年5月31日更新「カンドコロ」他・改稿 2018年8月6日)