日本一のドリフファン
 ブーさん。
 アタシたちはこの男のことを、そんなふうに呼んでました。
 もちろん、ザ・ドリフターズの一員である高木ブーのことです。

 アタシがブーさんに接触出来た期間はわずか一年ほどです。しかし伝説のコメディアンと実にフランクに話が出来たことはアタシの人生の中でもトップクラスに大きいことで、しかもアタシが幼少より見続けてきた人なんだからなおさらです。
 しかし、何でまた、ブーさんと知り合うことが出来たのか、今考えても不思議なんだけど、そこら辺の経緯を書いていきます。
 アタシの大学時代、ドリフターズが主演した映画はキャビアみたいなもので、つまりはあまりにも希少な存在だったのです。
 テレビでも放送しないし、名画座の類いで上映されるようなこともない、ましてやメディア化なんて夢の夢、みたいな時代だったんです。
 アタシの子供の頃はね、それなりの頻度でテレビでドリフターズ映画が放送されていたのですよ。
 別に子供の頃からドリフターズ<マニア>ではなかった(もちろん普通には好きだった)けど、10年ほどでドリフターズ映画は封印されているわけでもなさそうなのに、実に観るのが困難なシリーズになっていたんです。

 それを言えばクレージーキャッツ映画も似たようなものだったけど、植木等が「スーダラ伝説」で大復活をして以降、クレージーキャッツ映画を上映する劇場は、当時アタシが住んでいた関西でもチラホラ出てきました。
 それにかこつけて、というわけでもないのでしょうが、アタシが大学4回生の時に兵庫県の川西市で「クレージーキャッツ映画3本、ドリフターズ映画2本」というプログラムのオールナイト上映が行われることになったのです。
 アタシはドリフ好きの友人とこの上映会に馳せ参じたのですが、これで完全に火がついた。
 もっともっと、ドリフターズ映画を観たい!

 関西ではこの上映会以降も、相変わらず上映されない状態が続いてたけど、東京ではそうではなかった。
 その後、1990年代半ばになって、アタシもいろいろあって関東に移住することになるのですが、その頃ドリフターズ映画の上映にもっとも熱心だったのが、今は亡き中野武蔵野館でした。
 中野武蔵野館、中野駅からサンモールに入って、今でいえば銀だこを右に曲がったところにあったと思う。
 ここで数度に渡り「ドリフナイト」と称してドリフターズ映画の特集上映をしたことで、アタシの運命も動き出すのです。

 何度目かのドリフナイトだったか、アタシとドリフフリークの後輩は、名前は伏せますが「とある」人と知り合いになります。
 その人はアタシたちが「わざわざ関西から来たドリフフリーク」ということで良く可愛がってくれて、ある企画に協力してくれないか、と申し出たんです。
 「今度、ジ・オフィシャル・クレイジーキャッツのドリフ版を作る計画があるんだけど、手伝ってくれない?」

 説明します。
 「ジ・オフィシャル・クレイジーキャッツ」はトレヴェル社から発売されていたクレージーキャッツの写真集です。
 たしかハナ肇さんが逝去した直後に発売されたはずですが、どこからかき集めたのか、実に貴重な写真が満載で、巻末には膨大な資料がついている。
 ずっと後年、「植木等ショー!クレージーTV大全」(洋泉社刊)に関わった時に、「ジ・オフィシャル・クレイジーキャッツ」の資料を作成された方にお会いすることになるのですが、ま、それは別の話。
 しかしコレのドリフ版、というのは当時のアタシたちからすれば狂喜乱舞するような企画であり、是が非でも参加させて欲しい、と快諾しました。
 ・・・というような話は書いてて虚しい。結局『「ジ・オフィシャル・クレイジーキャッツ」のドリフ版』は企画が頓挫したからで、理由も聞いたけど、いろいろあったんですよ。今となってはあまりにももったいない企画ですよね。

 しかしその絡みだったか、オイシイ思いもした。
 どういう経緯かは忘れたけど「高木ブーさんが引っ越しするんだけど、手伝わない?」という話になった。
 これも二つ返事で引き受けた。高木ブーさんにお会いできるどころの騒ぎじゃない。引っ越しを手伝えるなんて!
 引っ越しを手伝う=お宅にお邪魔する、ということであり、一番ビックリしたのはゴミ箱の中に無造作に「ドリフ大爆笑」の台本が捨てられていたことでした。
 ま、ブーさんからしたら、用済みのゴミかもしれないけどアタシたちドリフフリークからしたらお宝以外の何物でもないわけです。
 結局ジャンケンして負けて、手に入りませんでしたがね。

 ブーさんはドリフフリーク垂涎の写真もいっぱい持っていた。とくに当時、ほとんど資料がなかった「ドリフターズですよ!」シリーズのメイン監督だった和田嘉訓の顔を初めて見たのも、ブーさんが持っていたスチール写真でした。
 またブーさんは個人的にドリフ映画をテレビでやった時にビデオに撮っておられて、それをお借りしたりもしました。ただこのビデオってのがβで、ダビングするのにエラい手間取りました。今となってはそれも良い思い出ですが。(ところがこの時のビデオが一本も手元にない。どこに行ったんだまったく)
 あとカラオケにいって「ドリフのズンドコ節」を一緒に歌ったのも懐かしい。もちろんブーさんのパートはご本人に歌ってもらいました。

 ブーさんって人はほんと、あのまんまでね。一緒にいてもあんまり緊張しないというか。ホントにところかまわず寝るし。でもそんな人柄だからいろんな話を聞けたわけで。
 当時交わした会話をここに書き留めておきます。

 ◇ 監督について
 ドリフ映画の監督といえば渡邉祐介、和田嘉訓、瀬川昌治と3人いるわけですが、ブーさんはドリフファンからあんまり評判のよくない和田嘉訓をわりと買っていました。
 まぁ一番合うのは渡邉祐介とも言われてましたが。

 ◇ ロケについて
 「クレージー(キャッツ)はいろいろ海外ロケに連れて行ってもらってたけど、ボクらはハワイにしか連れて行ってもらえなかった」(「ドリフターズですよ!全員突撃」のことですな)

 ◇ 若貴
 「まだ若貴が子供の頃にね、3人でレコードを吹き込んだことがあるんだよ。でも結局発売されなかった」
 聴いてみたかったけど、ブーさんの家にもサンプル盤すらなかった。
 まァ、このご時世(ってのも変だけど)、二度と陽の目を見ることはないでしょうな。

 ◇ 田村隆
 田村隆と言えば、ドリフ全盛期を支えた代表的な放送作家です。1980年代の半ばに「ドリフのクリスマスプレゼント」って番組をやってたんだけど、志村けんと加藤茶がアイドル相手に暴言吐きまくるの。あまりにも酷くて、ついに志村けんが「ごめんなさいねぇ。こういうホンなのよ」とアイドルに謝罪した後、カメラの向こう側に向かって「おいこれ、田村隆のホンじゃねーか!」
 そういえば、みたいな感じでアタシが「最近田村隆さん(「ドリフ大爆笑」で)書いてませんね」とブーさんに聞くと「田村さんのホン、すごい面白いんだよね。でも、もうネタ切れなんだよ」と、わりとズバッとおっしゃってました。

 ◇ 吉本新喜劇
 アタシが「「全員集合」の収録ってほとんど東京だったじゃないですか。大阪にもドリフファンがすごい多いのに」というと、ブーさん「でもねぇ、あっちは吉本新喜劇が強いもん。アレには勝てないよ」

 ◇ ダウンタウン
 「(1990年代半ば当時の)若手の中で一番なのは、文句なしにダウンタウン。彼ら、テレビではあんなふうに見えるけど、本当はものすごく礼儀正しい。収録でも絶対に見せ場を作ってくれるから安心して任せられる」

 ◇ マッチ箱
 ブーさんの趣味と言えばクレー射撃とゲームボーイでテトリスってのはわりと有名だけど、実はマッチ箱コレクターで、引っ越しを手伝った際に膨大なコレクションを見せていただきました。

 ◇ 志村けん
 誰かが(アタシではない)志村けんと石◯陽子とのことを聞くと、ブーさん、ニヤニヤしながら「みんなそう思っているみたいなんだけど、実は違うんだなぁこれが」(1990年代半ばの話です)

 ◇ 荒井注
 「もう一度コミックバンドをやってほしい」と懇願すると「それは荒井さん次第だよ。あの人がいないと形にならない」と。
 「志村の演奏力がどうとかじゃないんだよ。荒井さんだって別に上手くはないんだし。でも荒井さんがいるとドリフのスタイルが出来るんだよ」

 ◇ いかりや長介と志村けん
 「現場の志村?長さんとまったくおんなじだよ」

 ◇ 加藤茶
 これはややこしい話なんで各自推測してもらいたいんだけど「加トちゃんのおっかさんは偉い人だから、そういうことはなかった」
 ちなみにメンバーの呼び方は加藤茶が「加トちゃん」、いかりや長介は「長さん」、仲本工事は「仲本」、志村けんは「志村」、荒井注は「荒井さん」でした。


 これらの話は自著に書かれていることもありますが、ほとんど雑談の中からアタシが聞き出したものです。当然オフレコのこともあると思うけど、記録として書かせていただきました。
 話の大半は飲み会の時だったけど、中野武蔵野館のドリフナイトの待ち時間の間に、アタシとブーさんがダラけ切って喋っていたことは今でも鮮明に憶えています。(「ハワイにしか連れていってもらえなかった」云々の話はたしかこの時に聞いたと思う)
 あまりにも自然にダラけていたので、周りにいたドリフフリークたちも、遠巻きに「おい、高木ブーじゃねーか」と囁き合うだけで、誰も近寄ってはきませんでした。

 ブーさんは誰よりもドリフターズを愛している人です。だからスチール写真なんかも大量に残してある。まァ、大仰に言えば、日本一のドリフフリークと言えんこともないわけで、しかもブーさんはドリフのメンバーでもある。こんな強いことはない。
 あれから長い時間が経ったけど、テレビ越しではない、生のブーさんの声はいつまでも消えません。
 ブーさん、まだまだお元気で!

 (初出 2003年12月21日更新「日本一のドリフファン(2005年に「高木ブーのこと」に改題)」、2017年8月10日・12日更新「ドリフターズとアタシ」他・改稿 2018年5月28日)