投手としての江川卓
 今「Going!」というスポーツニュースをやってる枠で、かつて「スポーツうるぐす」という番組をやってました。
 名前でだいたいの想像はつくと思うけど、メインキャスターは江川卓。そう、あの。ま、今も江川は「Going!」に(メインでなくなったけど)出てますが。

 もちろん「うるぐす」時代は「Going!」よりも江川色が強かった。連覇値とか<ほりう値>(当時の巨人監督だった堀内恒夫と掛けている)とか、江川が独断でいろいろやってるように見える工夫がされていました。
 とにかく江川が独自理論を楽しそうに語っていたんだけど、たまに江川にとって楽しくない企画も用意されていてね。
 例えば2003年6月15日と16日の二日間かけて、江川問題を取り上げたりしていました。
 当時のVTRを見て「あまりにも辛くて、記憶に蓋をしていたので、本当に何もおぼえていない。初めて見るようだ」みたいなことを語っていたのが印象的でした。

 にしてもです。当時はそこまで思わなかったけど、これは相当酷な企画です。江川が当時やらかしたことの善し悪し関係なしに、いわばPTSD患者の記憶の蓋を無理矢理コジ開けたんだから。
 この4年後には江川問題のもうひとりの当事者だった小林繁と(CMという形で)対談していますが、この対談のロングバージョンもたしか「うるぐす」で流したはずです。
 何か、自分がメインキャスターの番組で、よくここまでやったよな。それだけで江川を許せる気になるっつーか。アタシの許しなんか得てもしょうがないけど。

 江川卓と言えば江川問題。これはおそらく彼がこの世からいなくなっても語り継がれるだろう、それほど世間を震撼させたことであるのは間違いありません。
 しかしあえて江川卓から江川問題を抜いて語るならどうなるか。
 次に出てくるのが「高校時代の圧倒的な投球」でしょう。とにかく打球を前に飛ばせない、なんて投手は空前絶後であり、今でも一部の識者は「高校時代が一番速かった」というくらいです。
 ところがプロに入って以降で江川を語るワードと言えば「一発病」「外国人打者に弱い」「手抜き」「春季キャンプで変な名前の変化球にチャレンジ」「財テク」あたりになってしまう。
 つまり高校の頃までは「超高校級」と言われるほどの「凄さ」を語られる投手だったのが、江川問題を挟んでのプロ入り後には「凄くなさ」ばかりを語られることになった、という。

 ではプロ入り後の江川は凄くなかったのか、と言うと、実に実に凄い投手だった記憶があります。
 ところが「どこがどう凄かったのか」の説明が上手く出来ないんですよ。
 プロ入り後の、ひとつのハイライトとも言える試合は1984年のオールスターでの8者連続奪三振ですが、これは今では簡単に映像を見ることが出来ます。
 さてさて、この映像を見た、リアルタイムでの江川を知らない若者にどう映るのか。
 たぶん「まァ、速いっちゃ速いけど、伝説になるほどか?」ってな感想が関の山でしょう。

 表示されるスピードガンは140キロ台前半で、今ならむしろ遅い部類に属する球速ですし、数字を一切無視して球筋だけ見ても「速いっちゃ速い」かもしれないけど、それでも、かなり贔屓目で見ても並の速球投手くらいです。
 球がホップしていた、と言ってもね。これも後年の、全盛期の藤川球児の球の方がはるかに浮き上がっている(ように見える)し。
 さらに言えば江川にはまともな変化球がカーブしかなかった。だから毎年キャンプで変な名前の「江川流落ちる球」にチャレンジしてたんだけど、さすがにストレートとカーブだけ、というのは「そのふたつだけで抑えていたのは凄い」とはならずに「昔はそれで通用してたんだ」と思われるだけなんでしょうね。

 それでもアタシの記憶の中にある江川は本当に凄かった。ただし調子の良い時限定ですが。
 何でか理由はわからないんだけど、江川ってわりと調子が極端だったんです。おそらくかなり早い時期から肩の具合が悪かったからなんでしょうが、調子が悪い時の江川はわりと簡単に潰せる。この頃(1980年代前半)の阪神は打線<だけ>は強かったから。
 その分投手、とくに先発投手陣は悲惨だった。エース格の小林繁や江本孟紀がポロポロ辞め、伊藤や工藤はいつまで経っても信頼感がない。結局トレードで来たロートルの野村収や山内新一らがローテーションに入っているような惨状でしたからね。
 その代わりといっちゃナンだけど、打線はマジで頼もしかった。
 掛布という文句なしの主軸がしっかりしていたし、真弓も岡田もいる。バースなんかも入ってきたりしたし。だからいつも「阪神は打線はいいけど投手が」と言われていたんです。

 そんな強力打線を誇った阪神でしたが、<調子が良い>江川にはまるで歯が立たなかった。
 これがね、いくら調子が良くても、江川と三本柱を形成していた西本聖や定岡なら、何とかなる気がするんです。ま、実際は何とかならないことの方が多いんだけど、それでも「何とかなるかもしれない」というだけで試合終了まで応援出来る。
 ところが江川の時は違うわけでして。
 調子が良い江川は、本当、何とかなりそうな感じが微塵もない。たとえ一点差でも、そして強力打線を擁した阪神でも「ああ、このまま押し切られて終わるな」ってのが見えるんです。

 何故そこまで絶望感があったかというと、もう誰もまともにスイングをさせてもらってないんですよ。ファールや凡打でも如何にも当てにいったような打ち方で、ちゃんと捉えたけど野手の正面だった、みたいな、いわゆるアンラッキーな当たりが一切ないんだから。
 そんな中で唯一まともにスイングしていたのが掛布だった。
 今の人に掛布と江川の名勝負なんて言ってもピンとこないかもしれないけど、リアルタイムで見ていた人間にはそれが肌感覚でわかる。
 掛布はいつも通りのフルスイングで江川の球に対抗していってたし、江川も掛布相手の時だけはあきらかにギアを上げていた。
 だから対調子が良い江川の時は掛布だけが頼りだった。逆に言えば掛布が打ち取られたら終わりだったんです。
 8回くらいに掛布に打席が回ってきてね。打ち取られるとチャンネルを変えるんです。もうノーチャンスに決まってるから。
 今はちょっとでも負けてたらすぐにチャンネルを変えるけど、この頃は少々負けてようが最後まで見ていたんですよ。なのに、調子が良い江川の時だけは例外中の例外だったというか。

 それにしてもです。
 掛布以外の、もちろん真弓や岡田も含まれるんだけど、一流の成績を残している打者が「当てにいって当てるのが精一杯」なんてのを見たのは対江川の時だけで、後にも先にもこんな投手は江川しか知らない。
 140キロ台前半のストレートとカーブだけで、打者をまったく寄せ付けなかったんだからね。
 1980年代と言えばムービングを意識的に投げる投手はほとんどいなかったとはいえ、さすがに「変化球がひとつしかない」なんて投手は皆無に近かった。みんなスライダーやフォークは投げてたし、シュート使いも今の時代より多かった。
 ストレートにしたところで、1983年にデビューした槙原寛己は150キロ台中盤を投げている。
 槙原なんていうと江川よりずいぶん後の時代の投手みたいだけど、江川のデビューが1979年だからたった4年しか違わない。いわば「同時代に活躍した投手」と言えてしまうんです。

 数字で凄さがわからないとなると、どうしても対戦した打者のコメントで凄さを図るしかない。「掛布はこう言っていた」とか「落合はこう言っていた」とかね。
 実際に打席に入らないと凄さがわからない投手というのはいます。しかし江川ほどそれに当てはまる投手もいないと思う。
 だからアタシのようなド素人が江川の凄さを説明するのは実に難しい。打席に入ったことがないのはもちろん、YouTubeなんかで映像を見せても伝わりづらい。
 これが野茂とか上原とか藤川球児とか、江川と同時代の投手に限定しても、北別府や小松辰雄、遠藤、山田久志なんかは映像付きであれば、現役時代の彼らを知らない世代の人に説明出来る自信はあるんです。
 でも江川は無理です。というか江川が特殊すぎるというべきか。

 さすがに江川の時代になると映像はそれなりに残っている。デビュー戦から、先ほど触れた1984年のオールスターの時、そして引退の引き金になったと言われる小早川にサヨナラホームランを打たれた試合まで、全試合は無理かもしれないけど半数近くは残っているとおぼしい。
 それだけの映像が残っているにもかかわらず、江川の凄さを語るとなると、金田や村山のような映像があまり残ってない時代の投手のように印象だけになってしまう。もっと言えば沢村栄治のような「神話時代の投手」に近いっつーか。
 でもそれでいいような気がするんだよね。結局そこに戻っちゃうんだけど、あれだけのゴタゴタがあってプロに入った投手なんだから、数字云々ではなく印象がすべての方が江川卓という人に合ってると思うわけでして。


 (初稿 2014年3月26日更新「投手としての江川卓」他・改稿 2018年12月3日)