サイバー夏休みの絵日記
 早いもので、<yabuniramiJAPAN>という名前で個人サイトをやり始めてから15年以上になります。
 さすがに15年以上もやってりゃね、インターネット自体の歴史が浅いんだから、老舗と言っても言い過ぎじゃないような。ま、老舗認定されたところで何のメリットもないけどさ。

 とにかく2003年になってアタシは自分のサイト、つまりココ、つまりyabuniramiJAPANを始めたのですが、今の今まで終始一貫徹頭徹尾、yabuniramiJAPANは「コラムっぽいテキストを書く」サイトであり続けました。
 テーマは野球だったりエンターテイメントだったり、はたまた戦前の話や漫画についてだったりバラバラですが、コラムっぽいってところだけは変わっていない。
 そもそもコラムっぽいってなんなんだ、と思われるでしょうが、エッセイほど詩的じゃないし、ソフトウェアなんかの使い方TIPSや論評ほど堅苦しくないし手間暇もかけてない。そこそこ客観的で、しかも読み飛ばせるくらい軽いもの、そーゆーのを「コラムっぽい」って言うんじゃないかとね。つか構想の段階から「泉麻人のコラムみたいな文章が書きたい」ってのはあったし。

 コラムを標榜して始めたということは、「日記っぽいことは書くつもりがなかった」ということになります。どころか「なるべく個人的な話は書かないようにしよう」と思ってたくらいだからね。ま、今はかなり変わってしまいましたが。
 それでも、仮に個人的なことを書いたとしてもはるか過去のことだけで、直近、もっと言えば「今日こんなことがありました」みたいなことはほとんど書いたことがない。
 つまりyabuniramiJAPANは15年以上の歴史の中で、ただの一度も日記サイトだったことはないのですよ。

 yabuniramiJAPANを始めた当初、だいたい半年ほどは自分でHTMLを書いてFTPサーバにアップしていました。
 厳密に言えばHTMLソースを吐き出してくれる日記ソフトを使って、それをアップしてただけだけど、いくらソフトを使っていたからといって、果てしなく面倒くさかった。しかもアタシはパソコンをほぼ使わず、今のスマホの原型と言えるPDAなるモバイル機器で執筆からアップまで全部手動でやってたからね。
 メンドクセーし、サイトデザインはダサダサだし、人はこないし、何とかならんもんかなァと思っていた時、ブログシステムなるものがあるのを知った。これが2004年の春です。
 以来ずっとブログシステムを使ってきているのですが(ブログサービスの移転は何度もしたけど)、今もブログを使ってるのは、結局それだけメリットが多かったからです。何より「更新がラク」って恩恵のおかげで、如実に更新頻度が上がったと思うしね。

 しかし本来、ブログシステムってのは、やっぱ日記を書くために作られたものだと思う。さっきも書いたようにyabuniramiJAPANは日記サイトじゃないんだけど、あまりにもメリットが大きいからブログシステムを使ってきた。それでもやはりこれはイレギュラーな使い方だと思うんですね。もちろん日記以外にブログシステムを活用している人はいっぱいいたんだけど、数の問題ではなくてね。本来の使い方から外れている限りイレギュラーと言えるはずです。
 それほどブログは画期的なものだった。ただしそれは手段と目的を曖昧にしてしまう作用もあったわけで。

 アタシは自分で「最後の個人テキストサイト時代の世代」だと思っています。
 yabuniramiJAPANを始めた2003年の時点ですでにブログサービスはあったんだけど、まだ浸透しているとは言い難く(アタシもブログなるものを知らなかった)、おそらくこの頃まで「インターネットで自分の書いた文章を読んでもらおう」となると自分でHTMLを書いてアップする、というやり方の方がメジャーだったはずです。
 それが2004年以降、変わった。ブログやmixiのようなSNSが徐々に台頭しだしたからです。
 おかげで、たいしてインターネットに詳しくない人間も気軽にテキストをアップして読んでもらえるようになったというね。これはプラス面の影響です。
 ただプラスの裏返しのマイナスも結構あったんじゃないかと今になってみれば思ってしまいます。

 2003年以前、つまり個人テキストサイト時代に書かれた文章ってね、面白いものが多いんですよ。そりゃあ全部が全部面白いわけじゃないけど、何というか<熱量>がブログ・SNS時代のものと段違いなんです。
 でもよくよく考えてみればこれは当然なんですよ。
 今でも言えることですが、インターネットで何か発信するとなってもほとんどの人が「Twitterがあるから」「Instagramがあるから」って感じだと思う。
 しかし個人テキストサイト時代にはこんな気の利いたサービスはない。つまり全部自分でお膳立てをしなきゃいけなかった。

 これが本当にめんどくさい。まず最低限のインターネットの知識が必要になる。そしてHTMLなるプログラム言語(なんですよね実は)を覚えなきゃいけない。
 やっとのこさ無事サイトを立ち上げても、メンテナンス等が果てしなく面倒、という。
 これは相当レベルの熱量がないとやってられないわけです。ただそれだけのハードルを乗り越えてきたわけだから「何がなんでもこの文章をインターネットで発表する!」というね、文章自体に熱量がこもっていて当たり前なわけで。
 今は良くも悪くも気軽すぎるっつーか手軽すぎるっつーか。まァこれだけ手軽になりゃ、つか結果としてやってる人が増えりゃ、炎上とかSNS疲れとか、いろいろ社会問題にもなるわな。

 だからと言って、今さら昔のテキストサイト時代に戻るなんてあり得ない。いくら手軽すぎるが故のマイナスがあろうと、あんな面倒なことをやるくらいなら、みなインターネットで発信することを辞めてしまうはずです。
 仮に日記めいたものを書くとしても、もはやブログシステムさえ使う理由がない。
 テキストサイトにしろブログシステムを使うにしろ、更新頻度が低ければやがて誰も見なくなるんです。かと言って毎日何か書くのは大変すぎる。
 ならば、Facebookやmixiで十分ってことになる。何ならInstagramでも問題ない。これらのSNSを活用すれば更新頻度が低くても問題にならないからね。

 というか、インターネット上に日記を書くっていったいなんなんだ、とあらためて思うわけですよ。
 そもそも日記ってのは極めて私的なものです。永井荷風の「断腸亭日乗」などは公開を前提に書かれたと言われていますが、それでも伏字や削除は免れない。そこに登場する人物すべてが逝去した今でも、そして個人情報の取り扱いが今よりはるかに<雑>だった時代のものでありながら、ね。
 その日記とやらをインターネットを使って、不特定多数の他人さんに見せる。こんなことは冷静に考えたら狂気の沙汰なんです。中には「具体的な人物名や地名を伏せていたら大丈夫」と言う人もいるかもしれないけど、隠すことが多ければ多いほどつまらないものにしかならない。
 日記サイト全盛期にはよく「日記サイトは他人の生活を覗き見している面白さがある」みたいに語られてきたけど、プライベートなことを一切書いてない、本当にたわいのない内容でしかない、さらに言えば所詮素人の文章です。「さりげない日常のひとこま」を読み手を引き込むほど面白おかしく書けるわけがないんですよ。

 結果、大半の日記サイトは「どーでもいい、取るに足らない」ものになるしかなかった。だってそうでしょうが。結局は「今日の晩飯は」みたいなことしか書いてないんだから。
 でもさ、こういうの、はるか昔にやったことがあるなァと思ってて、ふと「夏休みの絵日記」を思い出した。ああそうか、日記サイトはあれのサイバー版だと。
 今考えても夏休みの絵日記ほど、何を書いたらいいのかさっぱりわからないものはなかったと思う。
 それでもイベント的なことがあれば、例えばプールに行ったり家族旅行に出かけたりしたら、書けますよ。しかし子供は夏休みだけど大人に夏休みなんかない。親は「子供が学校に行っていない」以外は何ひとつ変わらない日常でしかないわけです。そうなるとイベント的なことなどそうそうあるわけがない。

 何しろ宿題だからね、本当に何ら特筆すべきことがなくても、毎日何かしらのことを書かなきゃいけないわけです。
 「きょうは なにも ありませんでした」なんて書こうものなら確実に先生に怒られるし、かと言って「おとうさんの うわきが ばれて おかあさんは じっかに かえると いきまいています」なんて書けるわけがない。いくら子供でも、これは書いちゃダメだ、みたいな分別はありますから。
 じゃあいったい何を書くんだ、となったら、どうでもいいことでマス目を埋めるしかない。「きょうの ばんごはんは カレーでした」からはじまって「じゃがいもが すこし かたかったです」とか「ぼくの さらには にくが4キレ だったのに おとうさんのさらには5キレ はいっていた」とか、マジでどうでもいい、いやもうどうしようもないくらいのことを書いていくしかない。

 こんなことをやらされたら、普通は文章が嫌いになりますよ。つかなんでああ、子供が文章を書くのが嫌いになるような宿題を出すんだろ。
 読書感想文だってそうですよ。大抵「原稿用紙5枚分」なんて指定があるけど、本の感想を原稿用紙5枚分とか、大人になった、んで毎日のようにこんな駄文を書き連ねてるアタシでも無理だわ。つか文庫本の解説でさえ「こんな解説とかない方がマシ」レベルなのがほとんどなのに。
 だって「感想」でしょ?んなもん結局は面白かったか面白くなかったかのどちらかしかない。いや粗筋めいたことや創作の経緯などを一切書かずに、完璧に感想<だけ>で原稿用紙5枚書ける小学生がいたら天才だわ。

 読書感想文にしろ絵日記にしろ、子供だって「無理矢理デッチ上げている」という意識はあるんです。それはやがて嫌な記憶になるし、文章を書くのが嫌いになるのも当然なんですよ。
 これは日記サイトにも同じことが言える。
 そりゃあ最初はね、大抵の人は自発的に始めるだろうから、楽しいわけですよ。ところが楽しさなんてひと月もすれば終わる。それでもせっかくやり始めたんだから、と半ば無理矢理書こうとしてしまう。
 もう<無理矢理>な時点で楽しさと乖離してしまっている。文章を仕事でもなく楽しさもなく書くなんて苦痛以外の何物でもないからさ。
 それでもこれが夏休みの絵日記ならば、宿題なんだから嫌だのなんだのは通用しない代わりに、たった40日程度のことです。つまり期間限定。夏休みが終われば書かなくて良くなる。
 ところが日記サイトはそういうわけにはいかない。強制力はないけど無限に続く。だったら辞めりゃいいじゃんと思っても、友達とかにURLを教えた手前、一気に閉鎖まではしづらい。根気がないとか思われるのも嫌だしね。

 まァ、だからアレですよ。日記サイトってのは<無限に続く夏休みの絵日記>なんです。夏休みが無限に続くんならこんな有難い話はないけど、続くのは夏休みじゃなくて日記だから。
 アタシもサイトを立ち上げる時に「日記サイトにしよう」なんて思わなくてつくづく良かったと思う。もしyabuniramiJAPANを日記サイトとして始めてたら、たぶんひと月も続いてないよ。
 いや根気がないと思われたくなくて、無理矢理半年くらい続けたかもな。と考えただけでゾッとするわ。


 (初稿 2014年2月7日更新「個人テキストサイト」、2015年2月14日更新「サイバー夏休みの絵日記」、2015年7月2日更新「究極のブログ」、2018年7月10日更新「スジは割らない」、2017年10月18〜22日更新「旧yabuniramiJAPANに花束を」、2019年1月27日更新「yabuniramiJAPANの全盛期って?」、他・改稿 2019年2月4日)