個人的福岡五大事件 後編
 1990年代後半、アタシが出入りしていたNG社という婚礼撮影会社は東京に本社がありました。
 それがどうした、てな話ですが、たしかに本社が東京にあろうが大阪にあろうが、そこはどうでもいい。
 不可解なのは、当時アタシが居住していた、そして仕事を受注していた福岡には支社どころか事務所も何もなかったのです。
 
 だから仕事の受注っつーか連絡はすべてFAXで行われていた。それでも会社の人間と一切リアル接触なしに、というのはマズいと思ったのか、月に一度、社長と社員ひとりが来福してミーティングをやっていたのです。
 その場所ってのがスタジオでして、そりゃね、一応写真やビデオ撮影を生業にしてるんだからそこが「撮影スタジオ」なら何の不可解さもないですよ。
 アタシが不可解だと思ったのは、そこが<音楽>スタジオだったからです。
 無駄にドラムやPAの機材が並ぶ中、音楽とは何の関係もないミーティングが行われる。
 口には出しませんでしたが、心の中では思いましたよ。
 「コイツら全員、トンチキすぎるやろ」
 
 とにかくこんなトンチキの連続で、とくに社長のトンチキぶりには手を焼いた。
 本質的には悪人ではないのかもしれないけど、いくらなんでも周りを振り回しすぎで、結果として会社全体がいい加減かつトンチキになってるという。
 これだけなら罪はないのですが、ある時非常に不可解な封書がNG社から送られてきた。普段の連絡は全部FAXなのに禍々しく封書なんて、これは絶対に何かあるに違いないとピンときた。
 案の定、アタシたち出入りのカメラマンやビデオカメラマンにとって極めて不利になることが記されており、しかもすぐに同意した上で返信しろ、とある。
 いくらなんでもこれはおかしい。アタシはすぐにNG社を紹介してもらったEに連絡した。
 Eはすでに封書の中身を読んでおり憤慨していた。これはおかしすぎる、と。
 こうなったら月イチのミーティングの時にトンチキ社長を問い詰めるしかない。もしラチが開かなければNG社と縁を切るしかないな、と。
 
 ミーティングの日がやってきました。
 NG社からは社長と社員ひとり。契約スタッフが計5、6名。もちろんアタシとEもいる。
 はじめはいつもと変わらず、社長がどうでもいいことを喋る。んで「お前ら、せっかくみかん持ってきたんだから、食べろよ!」と、これまたどうでもいいことをせっついてくる。
 焦ってもしょうがないとはいえ、なかなか本題に入らない。いやみかんとかどーでもいいんだよ!早く本題に入れ!
 やっと本題に入った。
 しかし完全に社長のペースで話し合いは終わりそうになっていた。もちろんアタシもEも何度も質問した。しかしそれらにたいして社長は軽くいなそうとするばかりで、まともに答えようとすらしない。
 おい、このままじゃ、終わってしまうぞ。どうするどうする?
 
 突然、だった。Eが静かに喋り始めたと思った次の瞬間、激昂しだした。こんな馬鹿なことがありますか。ちゃんと答えてください!!
 さすがのトンチキ社長も焦りはじめた。「理路整然」と「激昂」するEに押され気味になり、あきらかに「マズい」という色が顔に浮かんできた。
 アタシはふと、Eの顔を見た。激昂するEの顔を、です。
 不思議なもので、共通点が多いからか、それとも同郷だからか、アタシはEを見てすぐにわかった。
 あ、怒った芝居をしている、と。
 誤解されては困るのですが、Eが社長というかNG社に怒っていたのは本当です。だけれども怒声の上げるのはあきらかに演技であり、つまり「ここは自分たちのために怒り狂った芝居をするべき」という考えに基づいた怒声、と言えばいいのか。
 怒声だけでは足りないと思ったのか、Eは罵声を吐いて音楽スタジオから飛び出して行ったんです。
 
 この時の空気たるや、凄かった。それでも社長は必死で気をとり直そうとしていた。けどここでまた社長がいつものペースに戻ってしまったら、Eの行動が台無しになってしまう。
 今、この時、アタシに出来る行動といえば・・・、もうEの行動を「被せる」しかない!
 もしEだけで終われば、下手したらEがオカシナ人間で片付けられるかもしれない。だけれどももうひとり、同じ行動をする人間が現れたら、トンチキ社長はわからないにしても、契約スタッフには「やっぱり、この契約はおかしい」とわかってもらえるんじゃないか。
 アタシは一瞬の隙を狙った。そして社長がペースを取り戻しかけたその瞬間「だからさっきのEくんの質問に何ひとつ答えてないじゃないですか!」と声を張り上げた。もちろん芝居として。
 攻めるのはここしかない。アタシは一気に捲し立てた。すると社長は顔面蒼白になり、完全に黙りこくってしまった。
 アタシは良い頃合いを見計らって、Eと同じくスタジオを飛び出した。ああ、この後もうどうなっても知らんからな、と思いながら。
 
 その後、アタシと合流したEは真っ先にアタシに侘びた。「とんでもないところを紹介してしまったみたいで・・・」
 いやいや、どう考えても悪いのはEじゃない。トンチキ社長をはじめとするNG社全体だ。それにアンタはアタシをはじめとする契約スタッフ全員を守る行動に出てくれたじゃないか。
 ・・・なんてことを口にしようと思ったけど、なかなか上手く言葉が出てこない。するとEは急に笑顔になって
 「あなたなら僕と同じこと(つまり怒声を上げて退場する)をしてくれると思ってましたよ」
 この件がアタシがEという男を信用する決定打になった。だってそれだけアタシのことを信用してくれたんだもん。こっちも信用しないなんて嘘ですよ。
 とにもかくにも、いい加減でトンチキなNG社とはこれで縁が切れた。っつーことはアタシはまたS社だけになってしまったってことです。
 S社もタイガイな会社だけど、こことは別に喧嘩したりはしなかったから。いやNG社とS社ではいい加減の方向性が違うな。NG社が喧嘩腰で支離滅裂な<いい加減>だとするなら、S社は無気力の権化っつーか、喧嘩するような気力なんてはじめからない、と言えばいいのかね。
 
 ノストラダムスがやってこないまま2000年になりました。ミレニアム、なんて言われた年です。
 この年のゴールデンウィーク、北部九州地方から山口県をまたいだ形で、世間を震撼させる事件が起きた。そう、あの「西鉄バスジャック事件」です。
 西鉄バスジャック事件ともネオ麦茶事件とも呼ばれる事件は、世間を騒がせた事件の中で唯一「もしかしたらアタシが巻き込まれたかもしれない」事件です。
 2000年5月4日、アタシはS社の仕事で佐賀県の鳥栖に出張に行っておりました。そして九州自動車道の鳥栖までクルマで送ってもらって、そこから高速バスで福岡まで戻る予定だったんです。
 ところが撮影が押しに押し、おかげで福岡までクルマで送ってもらえることになった。
 当初の終了予定時間から鑑みれば、バスジャックされた車両に乗っていた可能性が非常に高いわけで、撮影が押すという不測の事態が起こったためにアタシは命拾いした。まさにラッキーという以外ありません。
 
 が、「本来乗る予定だったバス」の行方はかなり気になった。だからテレビにかじりついて事態を見守っていたし、当時、懐かしの「テレホーダイ(23時~翌8時までインターネットが使い放題になるサービス。厳密にはこの説明は間違ってるけど、まあいいでショ)」に入ったばかりの時期で、眠い目を擦りながらネットで状況を確認していました。
 実はこの時初めて、犯行予告があったとされる「2ちゃんねる」なる掲示板の存在を知った。といっても本格的に見始めるのは1年半後なのですが、なんというか、インターネットってのはこんなに臨場感があるものなのか、と感心したことを憶えています。
 
 もうひとつ、ビックリしたのが事件解決の瞬間で、1997年に放送された「踊る大捜査線 歳末特別警戒スペシャル」で劇中使われた閃光弾(フラッシュバン・スタングレネードというらしい)が「実際の事件で」使われたことです。
 今の感覚だとちょっとフシギなんだけど、放送から3年も経っていたにもかかわらず、2000年の時点でも「踊る大捜査線」は非常に新しいドラマでした。最後は陳腐化し切った末に終了しましたが、まァ、それはいい。
 とにかくネオ麦茶は逮捕された。アタシはバスに乗らずに済んだ。んでピンピンしている。
 しかしどの道、長く福岡に住むことはない、と感じ始めていました。バスジャック云々はまったく関係なく、この頃からカノジョと上手くいかなくなってきたからです。
 ユメもチボーもなく福岡にやって来て、ユメもチボーもないことだけキープしながらトシだけ食った。これはもう関西に帰るしかないな、と。
 ああ、こんなことならあのバスに乗りゃ良かったかな。いやいやいや、それはない。
 
 関西へ帰ることを決めながら、福岡から去る数日前にアタシはケータイの機種変をしています。
 さっきも書いたようにインターネットの魅力に取り憑かれていたんだけど、関西に帰ればそう簡単にインターネット環境を整えることは出来ない。ならばせめて、iモード対応端末を買って最低限のインターネット接続環境をキープしておこう、と。
 アタシが買ったのは「N821i」っての。これら当時大人気機種だったN502iにPHS機能が付加された、いわゆる「ドッチーモ」ってヤツだったんですが、なんてサラッと書いてるけどPHSもドッチーモも説明がないとわからない時代なんでしょうな。
 ま、テキトーにググってくださいませ。
 
 アタシが最後にS社の仕事に入った時だったと思う。「同じ機種に変えました!」と嬉しそうに報告してくる女子がいた。
 どーせここにいるS社関係の人間全員と縁が切れるんだ。あ、ふーん。そうなの。だから?と言いたかったけど、そんな状況にもかかわらず嫌われたくないアタシは「うわっ!そうなんだ!お揃いだね!」と上辺の言葉を吐きました。
 かと言って好かれたいわけでもない。最終的にカノジョにフラれて関西に帰ることになったわけで、つまりはフリーなわけです。オイシイ話があれば無碍にする必要もない。
 この娘、まァLとしますか、Lは純日本人でありながらハーフもしくはクォーターじゃないかと思うほどのガイコクジン顔をしていました。
 と書くとものすごく美人みたいだけど、こう言っちゃ申し訳ないけど「ザンネンなガイコクジン娘」って感じでね。正直まるで魅力を感じなかった。いや性格は悪くないと思うけどさ。
 
 福岡から離れたアタシは21世紀、つまり2001年に入った頃には何故か関西ではなく東京に居住していた。ま、転勤ってヤツです。
 あれは2003年の初めだったか、S社での仕事で知り合い、その後も友人関係にあるRという男がいるのですが、このRがとんでもないことを言い出したのです。
 
 「Lって覚えてますよね」
 「ああ、ザンネンなガイコクジン顔の」
 「そうです。実は彼女、佐賀銀行の頭取の娘らしいんですよ」
 
 いきなりネタばらしをしますが、この情報はウソです。調べればわかりますが、2003年当時の頭取はこの時点で60歳を超えており、当時20代前半だった女の子の父親のわけがない。ま、決めつけるのは乱暴だけど、実際Lは頭取の娘ではなかった。
 まさかLが佐賀銀行の頭取の娘なんて、とはじめは信じませんでした。しかし、詳しくは忘れたけど、Rが次々に補足情報を持ってくるようになり、もしかしたら本当なのかも、と思い始めたのです。
 
 「L、カレシとかいるの?」
 「今はいないみたいです」
 「これ、もしかしたら逆玉の輿のチャンスじゃね?」
 
 半分冗談というか9割以上冗談です。でももしそういうことになれば、そういうことになってもいい、くらいにはランクアップはしていたのも事実で。
 そして2003年の年末、「佐賀銀行取り付け騒ぎ」が起こります。
 
 「おい、L、大丈夫なの?」
 「いや最近会ってないんでよくわからないです。今度会って聞いてみます」
 「佐賀銀行の頭取の娘だろ?って?」
 「でも聞かなきゃわかんないじゃないですか」
 
 そりゃそうだけどさ。んで聞いたらしい。
 結果は先に書いた通り。彼女は一笑に付したそうな。
 「銀行を舞台とした、デマから端を発したパニック」と言えば「豊川信用金庫事件」が有名です。豊川信用金庫事件はまさにオイルショックの最中ですが、正直ここまで口コミの伝達が完璧だった事例もそうはないのではないでしょうか。何しろ女子高生の雑談がひとつの銀行を潰す寸前まで行ったんだからね。ま、いろいろ教材にさえなっているようですが、それもわかります。
 それに比べると、同じ取り付け騒ぎになったとはいえ佐賀銀行取り付け騒ぎはそれほど話題にならなかった。単に<事件>として見ればスケールが小さかったってことになってしまう。
 
 だけれどもさ、もうこの頃には福岡を離れて3年も経ってたんですよ。なのに、まだ福岡関係の事件がアタシに絡んでくるってのはもう、憑かれているとしか思えない。
 最初が最初なら、終わってるはずなのにまだ終わらない。とにかくアタシにとって福岡とはそーゆー街なのでありまして。
 
 
 (初稿 2014年11月01日更新「フシギな街・フクオカ」、2015年10月2日更新「西鉄バスジャック事件を読み解かない」、2017年3月31日更新「豊川信用金庫事件と佐賀銀行取り付け騒ぎを読み解かない」、2017年7月16日更新「東芝クレーマー事件を読み解かない」、 2018年1月16~18日更新「高架下暮らしに花束を」、2018年2月20日~3月5日更新「変人に花束を」、2018年6月8~10日更新「変人に花束を 番外編 BvsYS」他・改稿 2019年4月1、2日)