決別に花束を<総集編> 後編
 2003年の元旦からこの年の秋まで、アタシはほぼ毎日、日記をつけていました。
 それ以前にも、以降も、まるで日記なんてつけない人間が、何故この時期に限って日記などを書こうと思ったのか、それは前回チラッと書いたPDAというモバイル機器に原因がありました。

 まずPDAとは何ぞや、と思われるかもしれませんが、ま、今のスマホから電話機能を省いたものとお考えください。時代が時代なので今のスマホより圧倒的に低性能ですが。
 しかしアタシはこのPDAにハマった。激ハマりといっていい。ある意味戦前モダニズムよりハマってたんだから。
 PDAの最大の弱点は性能の低さ(そーゆーものと思ってるので、それは気にならない)よりも文字入力の困難さでした。
 一応手書きした文字を変換してくれる機能は付いているのですが、正直使いものにならない。ソフトウェアキーボードなんてもってのほか。つまりまともに文字が入力する手段がないのです。

 各ハードウェアメーカーはこの弱点を補うための周辺機器を出していましたが、アタシが当時使っていた「Jornada568」というPDAにはオプションでポケットキーボードというものが用意されていたんです。
 最初は「あんな米粒みたいなキーでまともに文字が打てるか」と歯牙にもかけてなかったのですが、実際に購入して使ってみると、これが驚くほど使いやすい。
 しかしただ文字を入力していてもしょうがない。何か文章を書いた方が面白いに決まっている。そうはいってもまだyabuniramiJAPANを始める前ですし、いったい何を書けばよいものやら。
 そこで「日記」というアイデアを思いついた。たしかに日記なら毎日書ける。つまり毎日このポケットキーボードで遊べる、と思い立ったと。


 2017年8月28日、ホテルに一晩泊まった翌日、つまり滞在2日目です。
 アタシは<まるで通勤するが如く>、かつてと同じルートで地下鉄を乗り継ぎ、新宿のオフィスの前までやって来ました。
 ここに来るのは何年ぶりだろう。近くまでは何度も来た記憶があるけど、オフィスの入っていたビルの前に立つのは、下手したら当時以来じゃないか。
 2002年から2003年にかけて、アタシは毎日このビルに来ていた。それが突然終わったのは2003年の秋になった頃・・・。
 早い話が会社を辞めたのです。


 これはアタシの思い違いから発しています。
 アタシは東京転勤メンバーに抜擢してくれた会社へ恩義を感じていました。人形町に住むことが出来たのも、この会社に勤めて東京行きメンバーに加えてもらったからです。
 だから死力を尽くして頑張った。どうしても会社に恩を返したかった。
 でもそれはサラリーマンが一番やっちゃいけないことだった、と気づいたのは会社を辞めた後でした。

 会社というか組織ってのはね、一番求められるのは<輪>なのです。しかしこの輪ってのがクセモノで、社員同士仲良くやれってことじゃないんですよ。この場合の輪とは「仕事の分量が誰にも偏っちゃいけない」という意味での輪なんです。
 極端に仕事をしない、出来ない人がヘイトを集めるってのはわかりやすい。しかし同時に「死力を尽くして人の何倍も仕事をする」人間も邪魔なだけなんです。んなもん、植木等映画のようなわけにはいかない。
 いつしかアタシは会社から弾き飛ばされる存在になっていた。頑張れば頑張るほど疎んじられていく。
 とうとう夏の終わりにプツンと糸が切れた。もう、こうなっては、辞めるしかない。
 春頃までは、最低でもあと3年はこの会社にいるつもりだったのに。


 それから14年の月日が流れ、久々にオフィスのあるビルを見上げた。もうオフィスはとっくに移転していてこのビルにはないんだけど、アタシの中に、あの辛かった思いが去来した。
 楽しかったこともいっぱいあったはずなのに、2003年といって思い出すのは会社を辞めた前後の辛い記憶しか残ってなかった。
 その辛さは当時の日記にも記されていました。
 ただし途中から意図的に会社での出来事を書かないようにしてあり、また偶然にも退職の意向を上司に伝えた、いわば一番追い込まれていた2003年8月頃の日記は、どうも当時何かしらのトラブルがあったようで残っていない。しかもよほど辛かったのか、記憶に蓋をした状態になっているために詳細はまったく思い出せないんです。

 ホテルに戻って来ました。
 そもそも何でアタシが人形町のホテルに滞在しようと思ったかと言うと、この頃のすべての出来事と決別したかったからなんです。
 こんな辛い年はなかったとずっと思っていた。会社のことだけでなく、もうこの時代に起こったすべてのことを記憶から消したかった。こんなことならノストラダムスの予言が当たればよかったとさえ思った。
 しかし、実に不思議なことに、当時の日記を読み返すと<未練>という言葉がチラつくのです。
 あんなに辛かったはずなのに、何で未練とかあるんだよ。んな馬鹿な。しかも、どうもこの頃から恋愛関係もまるでダメになり(どーでもいいことだけど、何でこんなに、と思うほどフラれ続けた)、慢性的な腰の痛みに加えて、何も考えられなくなるほどの強度の頭痛にも襲われていた。
 ボロボロになって仕事を辞めて、恋愛もダメ、体調もダメ。あまつさえ、仕事を辞めたことによって人形町から引越して、まァ言えば尻尾を巻いた形で実家のある神戸に舞い戻ることになってしまった。
 いったい、こんな年のどこに<未練>なんてあるんだ!

 時代というのは不思議なもので、後の時代から特定の時代を「ざっくりと」眺めると、どうしても主役ばかりに目が行きます。
 例えば、1940年代前半でいえば、時代の主役は誰が何と言おうと「戦争」になります。「丹念に」ではなく「ざっくりと」この時代を眺めれば、どうしても戦争の話になってしまうっつー。
 個人的な話になれば、主役は「仕事」「恋愛(家族)」「体調」になる。
 2003年当時、アタシにとってこれらの主役は、あまりにも調子が悪すぎた。だから後の時代から見ると、絶望的に悪い年だったというイメージに捉われていたのです。

 一方、2003年当時の脇役はというと、恐ろしいほど調子が良かった。百花繚乱だったとまで言っていい。
 先ほどよりPDAの話は書いてるけど、この時代のモバイル事情は本当に楽しかったし、戦前モダニズムという新しい趣味も見つけた。それに付随して笠置シズ子や川畑文子などの戦前期の音楽を積極的に聴き始めたのも大きかった。
 そして2003年と言えば、阪神タイガースの優勝!ま、優勝は結果だとしても、長年阪神を応援していたものの、ずっと暗黒時代なる低迷期の後の快進撃だっただけに、アタシは狂喜乱舞したんです。
 会社を辞めてすぐ、アタシは福岡ドーム(当時の名称)で行われた日本シリーズ第6戦のチケットを譲り受けて観戦出来る、という幸運にも恵まれた。
 ま、試合は(日本シリーズそのものにも)阪神は負けたんだけど、それでも会社を辞めるという事態に直面したそのタイミングで日本シリーズが行われたというのは大きな支えになってくれました。

 そして、何より、人形町という街の存在です。
 不測の事態でこの街を離れることになりましたが、2泊3日の滞在を敢行したことで、如何にこの街が素晴らしいのか、痛いほどわかった。
 人形町を後にして9年後にはロンドンに半年滞在したこともあったし、今現在アタシが住んでいる街だって、少なくとも悪くはありません。
 だから比べてどうこうではない。どこの街にも良い部分も悪い部分もある。それは当たり前です。
 しかし人形町には、もう独特としか言いようがない良さが溢れている。これはけして簡単に切り捨てられるような街ではない、と。

 2泊3日の滞在中、アタシは嫌というほど「便利さ」と「空気感の良さ」と「アタシという人間とのマッチングの良さ」を感じていました。
 まず交通の便が恐ろしいほど良い。夕方の5時くらいからでも、秋葉原でも神保町でも「日本最大の」「ここになければどこに行ってもない」と言い切れる街に、まさに下駄履き感覚で気軽に行ける。
 東京であろうが、上野だろうが、銀座、浅草、新宿、渋谷、果ては羽田まで地下鉄一本で(つまり乗り換えずに)行けるってのは凄すぎます。
 街単体で考えても便利この上ない。日本橋くらいまでなら余裕で歩ける距離であり、ということは三越でも丸善でも徒歩で行ける。
 もっと狭い人形町区域で考えても、とにかく美味い店がビックリするほど多い。アタシは食い道楽とまでは言わないけど、食うことすなわち生きる楽しみと思っている人間にとってはこんな嬉しいことはありません。
 遅くまでやってるチェーン店も多く、コンビニもこれでもかってほどある。これも時間が不規則なアタシのようなもんにとってはありがたい。

 だけれども、そんなことを押しのけるくらい素晴らしいのが空気感なんです。
 一見ただのオフィス街っぽいにもかかわらず、丹念に歩くと実に戦前モダニズムの空気が色濃く残っている。こんな街は他にありません。
 アタシは1999年くらいから2003年までの<時代>と、そして人形町という<街>に「決別」するために、わざわざホテルをとって滞在したのです。しかし実際にやってみると、決別する理由なんか何もなかった。
 悪かったのは主役だけで、脇役としてアタシを支えてくれたモノたち、PDAも戦前モダニズムも阪神タイガースも、そして人形町も、何ひとつ決別しなきゃいけないモノなどなかったんです。
 それに気がつけた。むしろ、これからもアタシを支えてくれる重要なモノたちではないかと。

 時代は変わる。だからいろんなことが変わる。それは当たり前すぎるくらい当たり前の話です。
 PDAはスマホに形を変え、iモードメールはLINEに取って代わられた。阪神だって2003年の阪神とはまるで違うチームです。
 個人的なことで言っても、腰の痛みや頭痛は治ったけど、他の箇所が悪化している。トシをとって眼鏡をかけるようになってしまったりね。
 そんな中、人形町界隈だけは変わらない。もちろん変わったっちゃ変わった。新しく店が出来たり、反対になくなった店もある。けど、空気感はあの頃と何も変わらない。いつも同じ空気でアタシを出迎えてくれる。

 だからどうしても、人形町界隈には花束を贈りたい。いや人形町界隈だけでなく、PDAにも阪神タイガースにも戦前モダニズムにも、そして当時アタシが勤めていた某広告代理店にもね、とにかく1999年から2003年までに関わったすべてのものに花束を贈りたいのです。


 (初稿 2017年8月29日〜9月19日更新「決別に花束を」他・改稿 2018年8月27日、28日)