コマった女優
 戦前モダニズム、というのはアタシの後半生を支配する趣味になってしまいました。
 戦前の、モダニズム要素があるものであれば何でも食らいつく。音楽でも映画でも文学でも建築物でも風俗(フーゾクじゃないよ)であっても、とにかく片っ端から調べていくのが楽しくてね。

 さて、大の映画フリーク(洋画専門ですが)だったアタシの亡くなった叔父は、かねがね「映画は女優で観る」と公言していました。
 そんなことをいうと「結局綺麗な女優が見たいだけなんだろ」みたいなツッコミをする人がいるかもしれませんが、これ、わりと理にかなっているんです。
 というのもヒロインの女優さんが綺麗でないと成立しない作品ってのが結構あるんですよ。
 これはね、物語上そういうのもあるんだけど、むしろ地味な話こそ女優が綺麗でないと成立しない場合が多い。
 あまり起伏のない、淡々とした作品なんかとくにそうで、良質だけど地味目の企画ってのはどうしても興行価値が薄くなる。だから必然的に制作されないなんてことが往々にしてあります。
 ところがヒロインが綺麗な女優ってだけで、俄然興行価値が上がる。つまり綺麗な女優をヒロインに迎えた映画を選ぶと、地味ながらも良質な作品にブチ当たる確率が高くなるのです。
 ま、リアリティは多少薄れる場合もあるんだけど、作られないよりはずっといいわけで。

 ではアタシがこよなく愛す戦前期の邦画で、この女優が出てるから観たい、と思えるようなものがあるかというと、まったくない。というか、これだけ戦前文化に淫していながら、今の目で見て綺麗と思う女優が本当にいないのです。
 戦前の美人女優は大きく「バタくさ系」と「純和風系」の2種類に分けることが出来ます。ま、わかりやすく言うなら「バタくさ系」の代表が原節子、「純和風系」の代表は田中絹代になるのかね。
 ざっくりどんな人がいたのか名前を挙げていけば

 ◇ バタくさ系
 原節子、入江たか子、高峰三枝子、竹久千恵子、英百合子


 ◇ 純和風系
 田中絹代、花井蘭子、千葉早智子、川崎弘子、山田五十鈴



 こんな感じでしょうか。
 バタくさ系の「バタくさ」とは、バタくさい=バターくさい=ガイコクっぽいってことなので、目鼻立ちがクッキリしていて、高貴なムードを漂わせた、という女優で、海外の女優で言えばグレタ・ガルボあたりを念頭に置いてキャラクターを作っていたのでしょう。
 純和風系はもうそのまま。良妻賢母、もしくは耐え忍ぶ女、なんて役どころがハマリ役で、顔立ちは極端なほどの「のっぺり顔」が条件です。
 正直言って、アタシはどちらもそそられない。バタくさ系はいろんな意味で現実味がなさすぎるし、見ようによっては「怖い顔」にさえ思える。
 純和風系なんてそもそも今の基準で美人と言えるのかどうか。田中絹代や山田五十鈴を美人女優に挙げる人は結構いますが、どこが美人なの?と思ってしまう。何というか<地味顔>以外の形容が見つからないというか。
 ま、それはいいんだけど、問題なのはこの2タイプ以外の女優がホントにいないんですよ。
 アタシが数少ない例外だと思うのは、高峰秀子、堤眞佐子、宏川光子、あと半分オマケで霧立のぼるくらいかね。


 美人でも淑やかでもない、でも愛嬌があって存在自体がモダン、みたいな人は彼女たちくらいでしょう。ま、彼女たちに名前を付けるなら「ファニーフェイス系」になるのかね。

 しかし戦後になるとファニーフェイス系が一躍メインストリームに躍り出た。時代がバタくさ系でも純和風系でもない、愛くるしい顔立ちの、いわば「可愛い女性」=ファニーフェイス系を求め出したのです。
 実際「ファニーフェイス」として売り出した団令子なんて堤眞佐子直系と言っていい感じだったし、吉永小百合だって戦前で言えばバタくさ系でも純和風系でもなくファニーフェイス系に属する。
 ただ、さすが戦後は価値観の多様化が顕著になった頃なので、この3種類のどれにも当てはまらないタイプの人も登場し始めました。
 新東宝でデビューした三原葉子は、もう先の3種類のうちどれか無理矢理言えや、となったらファニーフェイス系なんだけど、やっぱりファニーフェイス系とは違う。
 アタシは三原葉子が「ヤラシイ系」の元祖だと思っています。
 それまでも肉感的ボディやエロチシズムが売りの人はいました。京マチ子などはまさにそうですが、三原葉子は京マチ子とは違う。もっと下品で生々しい。京マチ子が性的興奮を喚起させる存在だとするなら、三原葉子は生々しい性行為そのものを連想させる存在の女優だったんです。

 三原葉子が強烈な存在になれたのは新東宝のカラーがあってこそなのですが、たしかに三原葉子ほどではないにしろ各社には「三原葉子的役どころ」を担った「ヤラシイ系」女優がいました。
 たとえば東宝なら北あけみです。大抵は過多な色気で主人公を惑わす、といった役柄で、それがまったく不自然でないほどのセクシーな顔立ちとプロポーションをしていました。
 もちろん「明るく楽しい東宝映画」なのですから生々しいシーンは皆無でしたが、それでも「クレージー作戦・くたばれ!無責任」におけるナイトプールのシーンでの、ガウンを脱いでビキニになる瞬間などは「おいおい、この後何もない方が不自然じゃないか」と思えるほど、性行為に直結したイヤラシサがあります。

 日活で言えば何といっても白木マリでしょう。
 と言っても白木マリと書くよりも白木万理と書いた方が通りが良いのかもしれません。
 彼女は日活で「ヤラシイ系」として活躍した後に結婚・引退しますが、離婚して女優にカムバックします。んでそのタイミングで名前を漢字にしたっつー。
 白木万理時代の代表作はもちろん「必殺」シリーズということになります。相手役は言わずもがなの藤田まこと。まだコメディアン時代の名残を引きずっていた頃に中村主水を演じることになり、その妻役で白木万理が出ていたと。

 コメディアン時代の藤田まことは、もう異様なほどの「馬面」推しをしており、ま、実際はそこまで馬面ではないんだけど(若い頃はむしろ二枚目ですよね)、もう世間には藤田まこと=馬、というイメージが定着していました。んで、藤田まことがどうだったかは知らないけど、一般に馬と言えば巨根を意味する。これが重要でね。
 つまり「必殺」は「巨根だが夜はからっきし」(実はからっきしじゃないんだけど)=藤田まことと、元は色気過多だったけど、今は峠を越えた「ヤラシイ系」の白木万理の夫婦だったわけですな。
 この組み合わせは何ともいえずイヤラシイ。それもロマンポルノ的なイヤラシサです。
 ま、「必殺」はロマンポルノではないので、白木万理が若い男に走ったりはしませんが。

 大映はというと、ちょっと時代がズレますが渥美マリ(またしても「マリ」!)になると思います。
 彼女の主演作はもう如何にも「ヤラシイ系」で売らんかなのタイトルだらけで、おそらく当時の若者はそのタイトルだけでズボンを突っ張らせていたはずです。
 ただ三原葉子や北あけみ、白木マリあたりと決定的に違うのは、彼女はけして肉感的なボディではないのです。今の時代なら貧乳の方にカテゴライズされてもおかしくない。
 ただし性行為への直結度がすごく、前段階なしにいきなり性行為になだれ込みそうなムードがある。というか性行為そのものがすごい、みたいなイメージを喚起させる映画タイトル(「でんきくらげ」とか「いそぎんちゃく」とか「裸でだっこ」とか)ばかりなんだもん。

 ちょっと話がエロ方面に向きすぎましたので軌道修正しますが、「ファニーフェイス系」と「ヤラシイ系」が百花繚乱になる一方、戦前期に栄えた「バタくさ系」や「純和風系」の女優は冬の時代を迎えていました。
 映画が、というより芸能界が身近になったせいか、女優も可愛さかエロさかのどちらかだけで十分になったってことなんでしょう。
 どちらにも共通していえるのは「生活感と身近さ」です。つまり「手が届きそうな存在」であることが求められるようになった。そんな時代にバタくさくて高貴なムードを漂わせていたり、まるで菩薩のような存在(と顔立ち)の女性など、現実味なんかあるわけがない。
 そんな時代にはハーフや海外の人でさえバタくさ系ではない形で売られています。女優ではないもののアグネス・ラムなんかも「ファニーフェイス系」と「ヤラシイ系」のハイブリッド(正確には顔がファニーフェイス系、身体がヤラシイ系、か)って感じだったし。

 ちょうどそんな時代に、究極のバタくさ系とも言える人がテレビに出始めます。ただしこの人も女優ではない。
 その人の名前は楠田枝里子。そうです。あの。とにかく彼女はアナウンサーという、お堅そうな肩書きを引っさげて登場したのです。
 誰もそんなことを言いませんが、アタシは声を大にして言いたい。楠田枝里子こそ有史でもトップクラスの絶世の美女であると。
 もし彼女が戦前期に女優をしていたなら、確実にトップランクのバタくさ系女優になれたと思う。そのレベルの美女です。(厳密には「でした」か)
 しかし、女性たちが「憧れの人は楠田枝里子です」なんて言ってるのを聞いたことがないし、そもそもブラウン管の中でさえ彼女は美女扱いされていなかった。
 少なくともフリーになって以降の彼女はロボット扱い、アンドロイド扱いだった。あまりにも人間離れした美しさは「笑いの対象」にこそなれど、もはや「憧れの対象」にはなれない時代になっていたのです。

 ま、たしかにね、もしアタシがあと20歳、楠田枝里子が40歳若くても、おそらく恋愛の対象にも性的な対象にもならないと思う。美しさは無類だけど、身近な存在になるような人ではないよね、と。
 絶世の美女だと思うアタシでさえそうです。そんなことを意識しない人ならなおさらでしょう。
 そういう意味では、やはりアタシは、いくら戦前モダニズムを愛好しようが現代の人間なんだと思う。
 恋愛対象としてならファニーフェイス系がいいし、性的興奮を掻き立てられるのは結局はヤラシイ系の人です。
 つまり、もしアタシがタイムスリップしたとしてね、高峰秀子に淡い恋心を抱いたり、三原葉子や北あけみを「あの手この手」を使ってなんとか性交渉に持ち込もうとするかもしれないけど、楠田枝里子には「あまりにも美しすぎて、それが逆に面白い」みたいな感情しか芽生えないと思う。

 美しさに憧れない女性はいないだろうけど、美しさとモテるモテないは関係ないですよ。つか絶対美しさよりも可愛さやエロさに特化した方がいろいろとトクをすると思うんだけどね。


 (初稿 2009年3月2日更新「絶世の美女」、2009年3月10日更新「やらしい女優」、2009年5月15日更新「田中絹代」、2012年5月13日更新「必殺ロマンポルノ」、2017年3月11日更新「映画は◯◯で観る」他・改稿 2018年9月24日)