ヤコペッティ x バスター・キートン=?
 テレビというメディアはときどきわけのわからないスターを生み出します。
 今で言えばマツコ・デラックスでしょう。「オカマ」「オネエ」というジャンルは昔からあったけど、マツコはそれまでのオネエタレントをなぎ倒してオネエを枠組を軽々超えてしまったんだから。

 ではオネエタレントの元祖は、と言うとよくわからない。テレビでの、という注釈をつけるなら、おすぎとピーコってのことになるんだろうけど、オカマ口調の元祖なら永六輔になるし。むろん永六輔はオネエでもオカマでもないけどね。
 だからと言って「ゲイ」まで話を広げるとメチャクチャになってしまう。ヨドチョーさんとか、もっと昔だと二村定一とか、さらに遡れば江戸時代の歌舞伎役者なんて両刀が普通だったらしいし。
 だから、ま、おすぎとピーコで話を止めておくけど、それでも彼らは間違いなくパイオニアではあったと思うんです。性癖でしかない「ゲイ」ではなく、丸山明宏(美輪明宏)のような妖艶さを売るでもなく、キャラクターとしてのオカマを築き上げたのはおすぎとピーコだから。

 パイオニアにはフォロワーには想像も出来ない苦難があったはずで、それはどのジャンルも一緒です。
 単なる足芸をダンスの域まで高めたフレッド・アステアと、そのフォロワーであるジーン・ケリーを一緒には語れないし、パントマイム芸を笑いに特化させたチャップリンやキートンと、それ以降のコメディアンを一緒には出来ない。
 チャップリンとキートンの映画デビューはほぼ同時期ですが(若干チャップリンの方が早い)、どっちがパイオニアってわけでもないと思う。どちらも幼少期から舞台で活動しており、影響を受けた云々もないと思います。
 コメディ黎明期の二大巨頭ではあるけど、現在の評価はチャップリンが圧倒している。もちろんキートンを評価する人もいっぱいいるけど、チャップリンは長編に転じてからも名作を作り上げたのにたいし、キートンはあくまで短編の人で長編で成功したとは言い難いからです。

 実はアタシの評価も、チャップリンに軍配を上げている。たしかに風刺や「泣き」が入るのはどうかと思うけど、それでも短編の密度を長編でやってのけたのは凄すぎるとしかいいようがないわけで。
 キートンも好きなんだけどね。面白いってことで言えば文句なしに面白いけど、どうも、キートンにはチャップリンのような「したたかさ」がなかったんじゃないか。ま、アタシの想像でしかないけど、チャップリンのガッツに比べたらどうしても、ね。
 それでもキートンの辿った道程はパイオニアならではのような気がする。チャップリンが持ち前のガッツとしたたかさでパイオニアが必ずブチ当たる壁を華麗に回避したとするなら、キートンはパイオニアの壁にまともに激突した、というか。

 面白いのは、先駆的なことをやれば必ずパイオニアになれるってわけでもないのです。
 かつてグアルティエロ・ヤコペッティという、インチキきわまるドキュメンタリー映画を撮る監督がいまして。撮ってるのは一応<ドキュメンタリー>なんだけど、間に演出を入れることを屁とも思っておらず、またその内容もエロとグロが全面に出た、ケレン味のかたまりのような作品ばかりで、今では「モンド映画」というジャンルにまでなっています。
 ただしヤコペッティはパイオニアとは言われていない。はず。映画としては大ヒットしたし、ヤコペッティふうの映画もかなり作られたけど、ヤコペッティを超える、モンド映画に人生を捧げたような強烈な人は出てきていない。
 だから今でも「モンド映画=ヤコペッティ」なわけで、もし後継者が出ていれば書き換わるはずだから。

 たしかにモンド映画はヤコペッティ一代限りのものと言っていいのですが、何故かその流れが日本に流入して、フシギな発展を遂げることになります。
 ヤコペッティふうのモキュメンタリー(フェイクドキュメンタリー)をテレビのバラエティ番組にパッケージングした初期の例として、テレビ朝日で製作された「川口浩探検隊」があります。
 「川口浩探検隊」はほぼヤコペッティの手法をそのまま持ち込んでおり、しかもテレビ番組の気安さもあって、「ツッコミながら見る」番組として人気シリーズになりました。嘉門達夫がパロディソングを作ったけど、あれは「そーゆー見方があるのか」ではなく、「ああ、そういうツッコミ方だよな」みたいな一種のあるあるソングだったのです。
 それでもヤコペッティ映画とは違い、「川口浩探検隊」は日本のテレビ番組のパイオニアになったわけで。

 この<演出を含めたドキュメンタリー=モキュメンタリー>という手法はやがて「たけしのお笑いウルトラクイズ」や「電波少年」になり、今は若干演出感を弱めた「ザ!鉄腕!DASH!!」や「世界の果てまでイッテQ!」へと行き着き、現在ではバラエティでもっともメジャーな手法となっている、というのが一般的な認識のようです。(そうか?)
 ただ、「川口浩探検隊」はヤコペッティ映画をそのままテレビに持ってきたような印象で、バラエティ番組としては、傍流にはなっても本流にはなりえないものです。つまり「川口浩探検隊」と「イッテQ」には相当の隔たりがある。
 では「川口浩探検隊」をテレビバラエティふうにアダプテーションした立役者は誰なのか、それは関西テレビアナウンサーであった桑原征平の体当たりリポートなんではないかと思っているのです。

 桑原征平。この人の本職はアナウンサーでした。関西テレビ、つまり関西ローカル、準キー局の人です。
 しかしアタシは一度たりともアナウンスっつーか、たとえばニュース原稿を読んだり、スポーツ中継の実況をしたりしているのを見たことがない。
 声質も独特で、はっきり言えば声質自体がアナウンサーに向いていない。アナウンサーってのは良くも悪くももっと無味無臭でないといけないわけで、これだけいろんな意味で個性の強い声ってだけでアナウンサー失格です。
 しかしまるでアナウンサーに向いてなさそうな桑原征平はお茶の間の人気者でした。といっても全盛期の逸見政孝のような自らを道化にすることもない。なのに桑原征平は誰の目から見ても「面白アナウンサー」だったのです。
 しかもその人気は関西地方だけにとどまらず、全国的でさえあったわけで。

 たぶんここまでの説明を読んでも、桑原征平という人を実際に見たことがなければ、何で人気があったのか理解出来ないと思う。
 アタシもそうで、いや何故人気があったのかは理解出来るんだけど、あまりにもアナウンサーらしくない、というか存在が完璧にアナウンサーから逸脱した桑原征平を、ある意味燦然と輝くヒーローとして、ある意味不気味な存在として認識していたのです。
 局アナで人気者になった人は他にもいっぱいいます。
 今で言えば福澤朗とか、ま、宮根誠司もその範疇に入るか。もっと前で言えば久米宏もそうだし、名前を出すのも忌々しいけど徳光和夫も成功者のひとりであることは間違いない。
 しかし桑原征平はそのどの例とも違うわけで。

 2004年、桑原征平の定年退職を記念した番組が制作されました。アナウンサーの退局で特別番組が作られること自体異例中の異例ですが、桑原征平の足跡を辿ったその番組「征平最後の挑戦!」を見ると、この人が如何にアナウンサーとして異端の道を歩いてきたか嫌でもわかる。それこそ今「イッテQ」で出川哲朗や宮川大輔がやってることの先駆者が桑原征平なんだから。
 しかし、当たり前ですが、出川哲朗や宮川大輔は芸人です。宮川大輔は「イッテQ」の前はとくに身体を張るタイプの芸人ってイメージはなかったけど、出川哲朗にかんしては徹頭徹尾、と言ってもいい。
 彼らには「芸人なんだから」という理由だけで製作者側も多少の無茶を要求しますし、芸人もそれに応えようとする。
 ところが、何度も言いますように桑原征平はアナウンサーなのです。アナウンサーでありながら出川哲朗なんかと比べても遜色ないどころか、無茶度合いで言うなら上なんじゃないの?とすら思う。
 そんなアナウンサーなど空前絶後であり、この番組で永六輔が桑原征平に贈った言葉「狂気のサラリーマン」という表現があまりにもピッタリです。

 「征平最後の挑戦!」を見てつくづく思ったのは、桑原征平の動きがコメディアンの「それ」なのです。もちろん桑原征平はパントマイム芸人ではないけど、それ、人間には無理だろ、みたいなことを易々とクリアしていく様はキートンを彷彿させる。
 「ヤコペッティとイッテQの間に隔たりがある」と書いたけど、ヤコペッティ映画は演出はあっても超人的な動きは内包されていない。しかし今はっつーか日本の「ヤコペッティふう」バラエティ番組は、超人的かはともかく「限界まで身体を張る」というのが含まれているわけです。
 つまり「もしヤコペッティがキートンを撮ったらどうなるのか」を体現したのが桑原征平であり、その流れは確実に「イッテQ」にも繋がっている、と。

 それにしても、パイオニアとなったのがコメディアンでもなんでもないアナウンサーってのは、やっぱ相当異様なことだよなぁ。もうこんな人は現れないと思うし、もっと言えば桑原征平二世とかいちゃいけないとも思うわけで。

 (初稿 2004年11月13日更新「ジュン・キーキョク×ガイカン(Vol.2)」・改稿 2018年7月23日)