アタシがはじめてメディアに出た日
 メディアに名前付きで、しかも顔出しで登場する、なんてことなど、もはや貴重なことでもなんでもなくなってしまいました。むしろ「そんな恥ずかしいことなど死んでも避けたい」と拒否ったり「個人情報ダダ漏れになるだけだろ」と見下す人の方が多いんじゃないかね。

 本当の意味で「メディアに出ること=すごいこと」だったのは、まァ1960年代まででしょうが、それでも1990年代までは「たいしたもの」くらいは言えた。少なくとも馬鹿にされるようなことではなかったと思う。
 アタシが最後にメディアに出たのも1990年代です。ま、近年になって、海外発のネットニュースに名前が出たことはあるけどその程度です。念のために書いておくなら悪いことをしたのではないし、もちろん英語だからね。ただしその時は顔出しはしていません。

 顔出しで、となると、最後のチャンスはたしか2000年だったと思う。
 当時アタシは福岡に在住していたのですが、大名っていう若者が多く集まる街をブラついていた時に、某男性ファッション雑誌の人に声をかけられた。ぜひあなたを誌面に載せたいから写真を撮らせてくれ、と。
 言っとくけど福岡ローカルの雑誌じゃないよ。正真正銘の全国誌。たぶん「街で見かけたオシャレさん・福岡編」みたいなコーナーだったんだろうね。
 この時は丁重にお断りした。そもそも別にシャレた格好でもなかったし(その時はたしか上野の中田商店かで買ったミリタリーっぽい格好をしてたように思う)、アタシはもう二度とメディアに出る気がなかったので断った、と。つまり懲りていたのです。

 子供の頃は「メディアに出る」なんて機会はまるでありませんでした。
 アタシは神戸の生まれ、ということは別にテレビの取材や公開収録もないような田舎で育ったわけではないんだけど、何故かサンテレビ(神戸のローカル局)以外は取材している光景すら見たことがなく、そもそもうちの親はテレビにそこまで興味がなかったので、公開収録のようなものに参加した記憶もない。
 あれは1988年だったか。アタシは大学生になっていたのですが、ちょうどその頃「ブラックレイン」の撮影が行われていてね、サークルの仲間がエキストラとして参加していたんです。
 もうどんな事情だったかは忘れたけど、とにかくアタシは諸事情で参加出来ず、とても悔しい思いをしました。リドリー・スコットですよ?高倉健ですよ?松田優作ですよ!?んなもん、絶対行きたいじゃないですか。(マイケル・ダグラス・・・は、まァいいでショ)

 この件があったせいで「もし、次に映画のエキストラがあるのなら早めに言ってくれ」と周りに言っていた。
 んで、そのチャンスが来た。「ボクシング映画やねんけど。試合シーンの観客のエキストラをひとりでも集めてくれと言われた」みたいな話があって。
 しかし、でも、それって邦画でしょ?しかも主演が赤井英和?あのボクサーの?監督は?阪本順治?誰だそれ。ま、それはええわ。今回はパス・・・。
 しかしまさかまさか、このキワモノ感満載の作品がブルーリボン作品賞をもらうわ、この年のキネ旬の2位になるわ、まったく予測が出来なかった。
 もうここまで書けばお分かりでしょう。作品の名前は「どついたるねん」。のちにアタシも観たけど、「大阪を舞台にした、大阪の良さを活かした映画」という括りなら生涯のベスト5に入ると思う佳作です。
 エキストラとして参加した友人に聞くと、ボクシングシーンは撮影とは思えないほど迫力があったらしい。そりゃ赤井英和と大和武士(まだ現役の日本チャンピオンだった)だもん。
 これは本当に、「ブラックレイン」より行くべきだった。二重の意味でもったいない。今でも後悔しています。

 1989年に入った頃だったと思う。今度は「テレビでネタやらへん?」みたいな話が持ち込まれた。いわゆる<ひとりショートコント>みたいなことをやるコーナーがあって、それのオーディションに参加しないか、というような話です。
 番組名を明かせば「やる気マンマン日曜日」。日曜日の昼間に放送されていた公開バラエティ番組で、司会は田代まさしと榊原郁恵。この番組の中に「笑ってゴ〜ン!」なるコーナーがあり、そこの出演者を募集している、みたいな話だった。
 もうどんなネタをやったのかは完全に忘れたんだけど、とにかくオーディションの時は、というか審査員にはやたらとウケたんです。サークル仲間数人も参加したんだけど、たぶんアタシのが一番ウケてた。
 あれ、もしかして、イケる?
 まァ大学生ですからね。その手の勘違いをしやすい。
 もちろんその勘違いは本番で完膚なきまでに叩き潰されたのですが。

 Wikipediaによれば「笑ってゴ〜ン!」のコーナー司会はB21スペシャル(ヒロミ、デビット伊東、ミスターちん)だったそうだけど、これはまったく記憶にない。たぶんヒロミだったんだろうけど、名前を呼ばれてステージの真ん中に立った瞬間、頭が真っ白になったんです。
 目の前には、数百人規模の客がいる。よく緊張を表す言葉として「足が震える」なんて言いますが、足が震えるなんて普通に緊張した状態なんですよ。本当に、極度の緊張状態になると自分の実存感みたいなのがまるでなくなるんです。
 それでもネタをやらなきゃいけない。でももう、自分でも何をやってんだかわからない。なのにまったくウケてないのだけはわかってる。おかしなものです。

 ふと、我に返った時には、アタシは駐車場で帰りのバスに乗り込む瞬間だった。
 この番組は毎日放送の製作だったので、収録は千里丘のホールからの中継だったんだけど「ああ、この場所で「突然ガバチョ」で鶴瓶と長江健次が客を見送っていたのか」なんて感慨に耽る余裕もなかったわけでして。
 後日放送を見たら、当然のようにアタシの出番はカットされていた。当たり前です。しかしコーナーの最後の出演者全員が並んでるところだけは映っており、そこには放心状態のアタシがいた。もう、思わずチャンネルを変えるほど恥ずかしかった。
 ああ、もう、テレビに出るとかはいいや。つか二度とテレビなんて出るものか!と固く誓った、という。

 それから数年が過ぎた頃に「映画に出ない?」なんて話が持ち込まれました。
 うん、まァ、テレビじゃないのなら、いいかなぁ。それに映画と言えば「ブラックレイン」と「どついたるねん」の後悔もあったし、これは引き受けようと。
 撮影当日まで、アタシは何をやるのか、どんな映画なのか、何の知識もない状態でした。とにかく行けばわかる、としか言われなかったので、そんなもんか、とユルユルの気持ちで参加したわけです。
 監督は顔見知りの人だったので、軽い気持ちで挨拶をした。「おーっ、君か。うん、ピッタリじゃないかな」何がピッタリなのかさっぱりわからない。
 「とりあえず、シャワー浴びてきて」
 は?・・・はぁ?シャワー?
 「撮影用のパンツも用意してあるから、それを履いてね」
 撮影用のパンツ???パンツ一丁で撮影するのか?

 聞けばピンク映画だと言う。ま、エキストラとはいえセリフありの役にド素人を使うなんて、そりゃあまともな映画じゃないのは当然だけど、よりによってピンク映画かよ・・・。
 しかもアタシの役はファッションマッサージの客役。フーゾク嬢に股間を咥えられるってな役です。あ、もちろん、アダルトビデオではないので<フリ>だけね。
 正直帰ろうと思いましたよ。こんなもんが世に出たら末代までの恥だと。
 しかし手渡された台本の表紙を見て心が揺らいだ。というのもこの映画、どうも新東宝系の作品らしい。
 アタシはこの頃から東宝映画の大ファンで、もちろんこの頃の新東宝はまったく東宝とは関係がなくなっているとはいえ、東宝から枝分かれした会社だったってのは知っていた。
 一瞬のうちに、東宝争議やらなんやらの事情が頭をかけ巡った。うん、そうか。ならば、やらんこともないな、と。

 監督はノセるのが上手くてね。当日アタシは、何しろユルユルの精神状態だったし、まさか裸になるとは思ってなかったので、大阪にある某サウナでパクった水色のデカパンを履いていってたのですが、それを見て監督が爆笑してる。
 「それ、いいね!そのパンツで本番も行こう!」なんて言い出して。これでアタシも火がついた。ならばもっと監督に面白がってもらおう、と。
 何せファッションマッサージの客役なので、途中でサウナパンツも脱ぐことになるのですが、必然的に前バリが必要になります。が、この前バリってのがテキトー極まるもので、股間をスーパーの袋で覆ってガムテープで固定しただけ、という。こんなんでホンマにええんかいな、とこっちが不安になったくらいです。

 相手役の女優さんは普通に綺麗な子だった。この子は別にピンク女優ではないので裸ではなく下着姿だったのですが、言っても下着姿は下着姿です。
 そんなあられもない格好で、馬乗りになって(つまり目の前に女優さんの尻がある状態)、アタシの股間を咥えるフリをされるとね、何しろまだ20代半ばだったからね。しかもユサユサされるたびに手が股間に当たるわけだし。
 ヤバい!これは股間の形状が変化してしまう!!
 それだけは死んでも避けたかった。必死で他のことを考えた。
 あれだけ苦しかったこともない。ま、形状が変化する方がよほど正常なんだけど、キャメラの前でそれだけは死んでも嫌だから。

 何とか撮影が終わった。ふう、ギリギリで変化を食い止められたぞ、とホッとしていると監督の声が飛んだ。「次、アフレコ頼むね」
 アフレコ?ああそうか、それがあったか!
 と書けばお分かりになるでしょうが、これはいわゆるビデオ映画ではなく、キチンとフィルムで撮影された、まァ本式のものです。だからアフレコが必要になるっていう。
 しかしこれが撮影に負けず劣らず辛いものだった。
 アタシの役は結構セリフがあったんですよ。延べで言えば1ページくらいはあったと思う。エキストラにこのセリフ量はかなり多い。
 もちろん演技をしながらもセリフは喋ってるんだけど、これは身体を動かしながらだし、それなりには役柄に入り込んでいるので、そこまで恥ずかしくはないんです。
 しかし、まァ、冷静になると、あまりにも恥ずかしいセリフが並んでいる。

 ああ〜っ!!そこそこ!そこらへんをもっと、いい、いい!もうダメェ〜!!!

 かなりソフトな表現をしましたが、実際はもっと生々しい単語が散りばめられていた。
 でもさ、これをひとりでポツーンと壁に向かって、着衣の状態で、ぶら下がったマイクに向かって喋るってのは、ド素人のアタシには難易度が高すぎる。
 「違うなぁ、もっと絶叫して!気持ちいいんでしょ?ならもっと声に表れるはずだよ!イク時の感覚を思い出して!!」
 ・・・出来るか、んなもん。これが出来たらアカデミー賞、は無理にしても、大久保怜から名人賞くらいはもらえるわ。

 もうテレビも映画も二度といい、と思っていたんだけど、それからさらに数年して、今度はポスターのモデルに使われる、なんて事態になってしまった。
 当時アタシは某出版社にいたんだけど、モノホンのモデルを使う予算がない、編集部に若い男がアタシしかいない、といった理由で、見栄えの良い編集部の女の子と一緒に新創刊雑誌のポスターに起用されたわけで。
 あれも辛かったな。何しろ街中のあちこちに自分の顔が貼ってあるんですよ。別にオイシイ思いとか何もないし、おちおち立ち読みも出来ない。さすがに自分の顔が貼り出されたポスターの横で立ち読みする勇気はない。
 国民栄誉賞とかもろたら立ちション出来ひん、と言ったのは世界の盗塁王・福本豊ですが、国民栄誉賞どころかポスターが貼られているだけでこんなに不自由なものなのか、というのを嫌というほど味わったわけでして。

 これらの自分の記憶と照らし合わせるだけで、もう芸能人を尊敬出来る。アタシは別に個人情報ダダ漏れとかはどうでもいいけど、この不自由さは耐えられないわ。こんな不自由を四六時中味わってると考えると、そりゃあ芸能人なんてそれなりにお給金をもらわないとやってられないよねぇ。


 (初稿 2013年1月20日更新「アタシが始めて映画に出た日」、2015年11月9〜13日更新「寂れた街の片隅で」、2016年11月21日更新「映画通なんて、おこがましいと思わんのかね」他・改稿 2018年11月5日)