レッツゴー!マイク!
 1978年、と言えばアタシが小学4年生の時です。
 この年の11月21日、アタシは学校から帰ってきて、その日は何故か友達と遊ぶ予定もなく、本当に何の気なしにテレビをつけた。そしたら8(関西テレビ・フジテレビ系)にチャンネルが合ってて「3時のあなた」というワイドショーをやっていました。
 まァ今でもだけど、別にワイドショーっつーか芸能ニュースなんてたいして興味はないんだけど、宿題をやるくらいなら、とボケーっと眺めておったわけです。こう書くと典型的なアホの小学生だな。

 「速報です。讀賣巨人軍は先ほど、元法政大学の江川卓投手との契約を締結したと発表しました。繰り返します。讀賣巨人軍は・・・」

 須田哲夫アナの声でアホな小学生だったアタシはひっくり返った。は?は?はぁぁぁぁあ?
 画面に目をやると司会の森光子もボーゼンとしてるし、ニュース原稿を読んでいた須田アナでさえ何も状況が把握出来てないといった感じでした。
 いやいや、ライオンズが江川との契約を諦めたってのはすでにニュースで出てたけど、明日ドラフト会議じゃん。ドラフト会議の前日にこんなことが出来るのか?もし可能なのであればドラフト会議っていったい何の意味があるんだ?
 いくらアホな小学生でもこの程度の疑問は湧くし、つかさっき言ったこと、本当に本当なのか?いくらなんでも誤報じゃないの?とすら思ったほどでした。

 江川卓という名前はかなり早くから知っていました。
 ま、年齢的な問題で高校時代は見てないけど、とにかく打者がバットに当てられないと言われるほどの豪速球を投げていた、そして高校三年のドラフト会議で阪急ブレーブスに指名されたけど、拒否して法政大学に進学した、くらいは知ってた。
 それくらいすごい投手なら見てみたいと思い、普段見ない六大学野球の中継を見たことがありました。
 その時の印象は、たしかに速いけど、なんだかテキトーに投げてる印象が強くてね。ま、江川の投球フォーム自体、力感のない軽く投げる感じってのは後々わかるのですが、とにかくそこまで強い印象はなかった。
 それがドラフト会議が近づくにつれて、江川はどこに指名されるのか、念願の巨人入りは叶うのか、みたいな報道が増えていったんで、アタシとしても意識せざるを得なくなったっつーか。

 1977年のドラフトはまず予備抽選が行われ、指名の順番を決める。んで一番くじのチームから選手を指名していくというやり方でした。
 待望の一番くじをひいたのはクラウンライター。西鉄ライオンズから連なる<福岡>ライオンズの末裔になります。
 しかしこの頃のライオンズは黒い霧事件の影響もあってボロボロで、こういってはナンだけど、12球団でもっとも魅力のないチームに成り果てていたんです。
 そんなクラウンライターに巨人というブランド志向の江川が入団するはずもなく、江川本人はさっさと野球留学と称してアメリカに行ってしまいました。
 結局ボロボロのクラウンライターは翌1978年10月に西武への譲渡を決め、本拠地を福岡から埼玉に移すことになるのですが、ライオンズの買収の決め手になったのは江川卓の交渉権を持っていたからだと。本当のところは知らないけど。

 ドラフトの交渉期限は翌年のドラフト会議の前々日(1978年でいえば11月20日)までなので、西武は慌てて江川の入団交渉に入ります。
 しかし必死の説得も虚しく、やはりライオンズへの入団を拒否した。いくら本拠地を福岡から東京に近い埼玉に移したといっても、何しろまだ球団を買ったばかりで、のちの常勝軍団なんて夢にも思わない頃だから当然ですが。
 そして翌日。最初に書いたようなとんでもない一報が駆け回った。一応メディア、著名人、当事者の直後の反応を載せておきます。

 ・朝日新聞夕刊『江川君トリック・プレー?前代未聞の奇策にファンあ然。』
 ・毎日新聞夕刊『「ドラフト」踏みつけ江川の“巨人契約”(中略)深夜の電撃作戦「不明瞭」「実に不愉快」』
 ・読売新聞夕刊『江川君、夢がかなった』
 ・水島新司『えっ、ほんとですか(絶句)そんなバカな(また絶句)』
 ・佐藤愛子『使いものにならなきゃオモロイのに』
 ・蓮見進(船田中自民党副総裁秘書)『ぼくらマツリゴト(政治)をしている人間だから、ルール(法律)を大事にしなきゃいけない。巨人もこの解釈でいいという。もう鬼に金棒。』
 ・江川卓『違反でないから納得して契約した』

 最終的にこの騒動がどのように収まったのかは書く必要はないでしょう。とにかく翌日のドラフト会議で阪神が江川を指名し、年が明けてから金子鋭コミッショナーの「強い要望」で、江川は小林繁とトレードされる、という、これまた前代未聞の結末を迎えたわけで。
 正直に言いましょう。この「江川事件」と言われる一連の出来事は、小学4年生のアタシにはあまりにも不快感が強すぎた。
 それまではね、もう純粋にスポーツとしてプロ野球を見てたんです。だけれどもこの一件があって、あまりにも「大人の事情」をまともに見せつけられて、何とも言えない嫌な気持ちになった。
 1978年は偶然にもプロ野球絡みで楽しくないことが多く、阪神は球団史上初の最下位になるし、大好きだった田淵幸一はトレードに出されるし、阪神と同じくらいのウエイトで好きだった阪急は日本シリーズで例の大杉のホームランがあって負けるし、とにかく「もう、プロ野球はいいや」と思えることがあまりにも重なりすぎたっつーか。

 しかし、そんな中でひとりだけ、どうしても気になる選手がいました。
 たしか1977年のことだったと思う。甲子園のデーゲームを観戦した小学生のアタシは、ひとしきり選手の出待ちをして、阪神甲子園駅から電車に乗った。たしかこの時の出待ちは無駄骨だったように記憶しています。
 阪神の帽子をかぶり、球団旗を手にもって電車に乗っていたアタシに向かって、応援団とおぼしい人が声をかけてきた。
 「僕ら阪神ファンか?あっちの車両にラインバックおんでぇ」
 あわてて車両を移ると、たしかにラフなかっこうをしたマイク・ラインバックが電車に乗っていた。たぶん神戸の自宅に帰る途中だったんでしょう。

 若いファンはまずこのくだりを信じられないと思う。文句なしのスタープレーヤー、しかも外国人選手が電車通勤なんて!しかしたしかに彼は電車で通勤していた。そしてごくふつうに座席に腰をかけていたんです。
 アタシはとにかくサインをしてもらおうと、阪神子供の会の手帳とマジックをラインバックに差し出した。彼はしごくにこやかにサインをし、握手をしてくれた。
 子供のアタシには英語なんて話せない。話せるわけがない。実は今もだけど。海外に居住経験までありながら。情けない話で。
 だから何か会話をしたということではまったくないんだけど、それはまぎれもなく生まれて初めて外国人とコミュニケーションをとった瞬間でした。しかもその相手が阪神の選手だなんて!

 それまでもラインバックは子供ながらに好ましい選手のひとりでしたが、この出来事以降、特に熱心に応援する選手になります。
 田淵が西武ライオンズにトレードされて、アタシが応援したいと思えるのは、もうラインバックしかいなかった。
 ラインバックってのは面白い選手でね、当時阪神のエースだった江本孟紀はこんなことを書き残しています。(喋り残して、だけど)

 『わが僚友のラインバックの場合は、ファインプレイの連続でピッチャーの心臓を凍らせてくれた。(中略)ピッチャーがイージーフライと思って振り返ると、あら不思議、ラインバックが、帽子を吹っ飛ばして打球の下にころげこんでくるではないか。(中略)ラインバックのキャッチした場所はライトの定位置のすぐそばである。(中略)彼の守備はいつもファインプレイもどき。事情を知らないファンの大喝采をあびるという、なんとも得な役まわりの男だった。』(江本孟紀著「プロ野球を10倍楽しく見る方法」より)

 ま、守備はこんな感じだけど、打撃は実に頼もしかった。入団して最初のキャンプでは「外野まで打球が飛ばない。何でこんなのを獲ってきたんだ」とまで言われましたが、シーズンに入ると快打を連発し、不動のクリーンナップとして勝負強い打撃を見せてくれていました。
 彼の勝負強い打撃、そして快くサインをしてくれたこと、このふたつで「もうプロ野球も阪神もどうでもいいけど、ラインバックだけは」という気持ちが残ったんです。

 そして運命の1979年6月2日を迎えます。この日は、そう、江川のプロ初登板試合。しかも何の因縁か相手は阪神です。
 阪神はさして調子がいいとは思えない江川を攻略できず、イニングだけが進んでいきます。しかもこの年初めてのホームラン王を獲得する若き主砲・掛布はケガで欠場中。とにかく阪神にとってはかなりキビしい状況になっていったのです。
 7回、若菜のホームランで2-3と追い上げたもののすでに2アウト。しかしそこからランナーを2人だして、バッターボックスにラインバックを向かえたのです。
 結果は、まさに全阪神贔屓の夢をのせて、打球はライトスタンドに消えました。逆転3ラン!!

 絶対負けちゃいけない試合。そんな試合にケリをつけたのは、アタシが大好きだった、そして唯一プロ野球への気持ちを繋ぎとめてくれていたラインバックだったんです。
 涙がいっぱい出ました。たぶん野球を見て泣いたのはこれが最初だったと思う。そして思った。やっぱり、野球を見よう、阪神に熱い気持ちを寄せよう、何より、ラインバックを心から応援しよう!

 1990年。アタシは大学生になっていました。
 小学四年生の時の「3時のあなた」を見ていた時と同様、何気なく「探偵!ナイトスクープ」を見ていたらラインバックの話になった。そこで初めてラインバックが交通事故によって逝去されたことを知ったのです。
 この時ばかりは泣くというより茫然となった。言葉が出てこなかった。何で、そんなことに・・・。

 阪神の優秀な歴代外国人の名前を挙げていっても、まずラインバックは出てきません。成績的にはそれなりに優秀なんだけど、バースのようなインパクトはないし、何より古すぎる。
 それでもアタシは、一生ラインバックを忘れない。ありがとうマイク!レッツゴーマイク!!

 (初出 2004年4月27日更新「レッツゴー!マイク!」・改稿 2018年7月2日)