スクスクソダテ
 今となってはそこまで卑屈になることでもないのですが、とにかくアタシは小学4年生まで自転車に乗れませんでした。
 だけれどもオンタイムではすごいコンプレックスでね、のび太がサイクリングに誘われて、悔しいやら悲しいやらの気持ちになるのがよくわかるのです。

 その頃、アタシには親友と呼んでも差し支えないくらいの仲の良い友達がいました。仮に彼を「F」とします。
 Fは自転車に乗れないアタシを不憫に思ったのか、はたまたアタシとの行動が徒歩に限定されるのがタルかったのか、とにかく「自転車が乗られへんのやったら練習したらええやん。俺も付き合うわ」と言ってくれたのです。そこまでいってもらって練習しないのは男じゃない。という成り行きでアタシは自転車の練習を始めました。
 が、あいにく家には16インチの、4年生の身体にしても小さい自転車しかなかったのですが、とにかくソイツの補助輪を外して必死に練習を重ねたのです。
 無事乗れるようになったのは翌日の夕方でした。アタシは嬉しくて母親に「ほら、乗れるようになったで!」とお披露目走行をしたことを昨日のことのように覚えています。
 あれ、嬉しかったなぁ。もしかしたら生涯で一番嬉しかった瞬間かもしれない。というか母親に自慢げに何かを披露したことなど、後にも先にもこの時だけです。

 さて、自転車に乗れるようになったものの、だんだん16インチの自転車ではしんどいことがわかってきた。そこでアタシは自転車購入計画を立てたのです。
 狙いはセミドロップハンドルの五段変速のやつ。そーゆーのが流行っていたんですよ。
 駄菓子も買うのを止めて小遣いをため、翌年のお年玉と合わせて、やっと念願の自転車を買ったのです。
 それはいいのですが、その年の夏です。どこへとなく父親と出かけた弟は、なんとアタシが貯金して買ったのよりはるかに高価な自転車をいきなり買ってもらって帰ってきたのです。
 あの時の脱力感。なんというか、こういうことしちゃいけないわ。こんなふうなつまんないきっかけで子供はヒネるんですよ。

 さてさて、それはいい。
 とにもかくにも自転車に乗れるようになったばかりのアタシは、他の子が乗ってるような「セミドロップハンドルの五段変速」なんてまだ眼中にない。16インチの自転車に無限の可能性を感じていた。
 たしかに自分の身体には若干小さい。でも、だからと言って、そこまで不都合を感じなかった。アタシは事あるごとに「自転車でいろんなところに行ってみたいなぁ」とFに呟くようになっていました。
 たぶん、アタシの気持ちを察してくれたのでしょう。ある日Fが「それやったら甲子園まで行ってみいひん?」と言い出したのです。
 阪神甲子園球場。高校野球の聖地であり、阪神タイガースの本拠地である甲子園球場は、アタシの家から約13キロ。クルマか電車なら30分ほどで行ける場所にあります。(30分はかかりすぎに思うかもしれないけど、渋滞や駅までの距離、乗り換えが発生することを換算すると、それくらいかかるのです)
 13キロ程度なら大人の足ならば歩けんこともない距離です。これくらいであれば16インチの自転車でもギリギリ何とかなる距離と言える。
 ましてや目的地は憧れの甲子園。子供が計画を立てる大旅行の目的地として、これほどふさわしい場所もない。
 よし、いっちょう行ったるか!

 1979年のことです。春休みのある日、アタシとFは自転車にまたがり、一路甲子園に向かって進み始めました。
 国道43号線をひたすら東へ進む。速い速い。16インチの自転車がこれほど速度が出るのかと思うほど速かった。足取りも軽かった。というか完全に浮かれていたんですね。
 結果、予定よりもずいぶん早く甲子園に到着しました。
 せっかく来たんだから、サインでも貰おやないか、とちゃっかり色紙とサインペンを用意してきたのですが、あいにく阪神の選手なんかひとりもいない。
 よくよく考えたら、いわゆる移動日ってやつで、阪神の選手が甲子園にいるわけがなかったってのに気づいた。
 「アカンか。悔しいけど、帰るか」
 「そうやなあ。ここままここにおっても意味ないしな」
 そうは言ったものの、何か方法はないものか。せっかく自力で自転車を漕いでここまで来たのに手ブラで帰るのは悔しすぎる。

 ふと、思い出した。そういうたら阪神パークの並びに虎風荘とかいう独身寮があったなぁ。
 ららぽーと甲子園の位置にはかつて阪神パークなる小規模な遊園地がありました。
 その並び、そして甲子園の道を挟んで向かいに虎風荘はありました。今は老朽化もあって鳴尾浜に移転しましたが、当時はこんな球場の近くに独身寮があったんです。
 虎風荘の脇には警備員が立っていました。近づくアタシたちをジロリと見る。
 「あかん、怒られるで」
 「い、いや、怒られるって別に何も悪いことしてないやん」
 そう言いながらアタシの声は震えていた。
 「おぅ、お前ら何や!」
 虎風荘の中からものすごい大きな声がした。中から「のっしのっし」としか言いようがない感じで大きな身体がこちらに近づいていた。
 「うわ、メチャクチャ怖そうな人が出てきたやんか・・・もうアカン・・・」

 ふと我に帰った。あれ?もしかしたらこの人、阪神の選手やなかったっけ?たしか、去年の大洋戦で守備固めで出てきたクセに打球を見失った・・・あの選手や!
 「君ら阪神ファンか」
 「あ、あの、そうです・・・」
 「色紙とか持っとんのか」
 「は、はい」
 色紙を差し出すと、さらさらとサインをしてくれた。崩した字ではあったもののはっきりと「川藤幸三 4」と読めた。
 「どっから来たんや」
 「神戸から、そ、その、自転車で・・・」
 「自転車!?君らだけでか?」
 「はい・・・」
 「ちょっと待っとれ!」
 川藤は虎風荘の中に消えていきました。

 「おい、もしかしたら警察に通報されるんとちゃうか」
 たしかに子供だけで自転車で甲子園まで来たとなったらその可能性はゼロではない。
 だけれどもアタシたちはもう逃げられない。あんな大男の「待っとれ」という言葉に逆らうことなんてけして出来ない。
 すると中からものすごい数の、まァほとんど二軍の選手だけど、が出てきた。みんな眠そうにしている。そして代わる代わる一枚の色紙に小さくサインしてくれた。
 「お前ら!こういうファンを大事にせんでどうするねん!」と川藤が後ろからどやしつけている。
 すべての選手のサインが終わりました。足早に立ち去ろうとしたアタシたちに川藤は「君ら、これからもずっと阪神を応援してくれよ!」と優しく語りかけてくれたんです。

 それで終われば感動的なんですけど、この後が良くない。
 帰り道の途中、アタシはあろうことか自転車の鍵をなくした。もう薄暗くなっていたので、探せど探せど鍵が見つからない。
 ふたりともヘトヘトだった。時間も遅くなってしまった。そんな最中にアタシは鍵をなくすという失態を犯した。
 Fはあきらかに怒っていましたが、まァ、そりゃそうです。これで怒るなって方が無理がある。まして子供なんだし。
 しょうがない。アタシは自転車の前輪を持ち上げて歩き出した。いくら16インチの自転車でも前輪を持ち上げて残り3キロを歩き切るなんて無理に決まってる。でももうそうするしかなかったんです。
 途中、「すくすく育て神戸っ子」という標語が書いた看板があった。アタシは何だか、無性に腹が立った。もう何だかとしか言いようがないんだけど、あまりにも腹が立ったのでその看板を思いっきり蹴飛ばしたんです。
 すると今度は看板を蹴った拍子に足を痛めた。もうとてもじゃないけど、自転車を持ち上げて歩くなんて出来るわけがない。
 結局その場で自転車を乗り捨てて帰ったのは言うまでもありません。

 これ以降、何となくFと疎遠になった。
 一番の理由はクラスが別々になったことですが、あの一件以来、アタシはまだFが怒ってるような気がしてたし、Fも何だか遠慮がちになっていた。
 それからさらに6年の月日が経ちました。アタシはいつの間にか高校2年になっていた。
 もう甲子園に自転車で行ったのも、Fという友達がいたのも遠い昔になった頃のことです。
 1985年10月16日、と言えば阪神ファンにとっては忘れようにも忘れられない、21年ぶりの優勝を決めた日になるわけですが、アタシもこの日を待ちわびて、当日はテレビにかじりついていました。
 延長10回裏、中西が投じた球をヤクルトの角が打ち返す。ピッチャーゴロ。ボールは一塁の守備固めに入っていた渡真利のミットに収まった。優勝が決まった瞬間です。
 「やったー!」
 とりあえず、声を上げてみた。しかし、どうも、実感みたいなものがまるでない。この辺は如何にも優勝慣れしてないチームのファンの反応ですね。ま、今も慣れてないけどさ。慣れさせてくれないもん。

 優勝慣れしてないのはファンだけでなく選手もだった。胴上げも何ともサマにならない。たしかに吉田義男監督は宙に舞ったのは舞ったけど、まるで「♪ スタイリィスタイリ〜」でもやってるが如く身体が波打ってる。こんな下手くそな胴上げを見たのはこの時くらいです。
 吉田監督に続いて掛布が胴上げされた。押しも押されもせぬミスタータイガース。この胴上げは当然です。
 しかし、次の瞬間、我が目を疑った。たいした実績もない控え選手が胴上げされている。
 「川藤です!川藤の胴上げです!」
 実況担当だった松本暢章アナウンサーが叫んだ瞬間、アタシの中ですべてが甦った。
 あの日、自転車で、甲子園まで行ったこと。帰り道に鍵をなくして親友だったFと疎遠になったこと。そして、川藤にかけられた言葉。
 「これからもずっと阪神を応援してくれよ!」
 あの声が鮮明に甦った。
 アタシは涙が止まらなくなった。泣けて泣けて、どうしようもなかった。
 そうなんだ。自分では気づいてなかったけど、いや正確には気づかないフリをしていたけど、アタシはずっとずっと、川藤という選手が大好きだったんだ、と。

 あれからずいぶん月日が経ちました。ずいぶん月日は経ったのに、以降たった2回しか優勝してないってのはどうなんだとは思うけど、相変わらずアタシは阪神を応援している。
 川藤は今も解説者として健在です。よくネットで「川藤の解説は根性論ばっかり」という人がいますが、川藤は根性論なんか言いませんよ。何故なら「プロ野球は根性だけではどうしようもない世界」というのを誰よりもわかっているからね。
 そしてもうひとり。そう、あの時一緒に甲子園まで行ったFです。もう何をしているのかまったくわからない。元気にしてたらいいな、とは思うけど、そこまで会いたいとは思いません。
 ただ、彼も「これからもずっと阪神を応援してくれよ!」という言葉を聞いたひとりなのです。だからどこで何をしてようが、今も阪神を応援してると信じているのですがね。


 (初出 2005年6月13〜17日更新「スクスクソダテ」、2014年4月11日更新「子供の頃死ぬほど欲しかったもの」、2015年2月27日更新「これが男・川藤の生きる道」他・改稿 2018年9月3日)