サイバー隣組
 アタシが世紀の悪法だと思うのが1940年に施行された隣組制度です。正確には「部落会町内会等整備要領」と言うらしい。ま、だから何なんだって話ですが。

 1940年と1941年、つまり太平洋戦争突入の直前ですが、この2年間はヒステリックなほどくだらないことが行われていました。もちろん「太平洋戦争を見越して」ではなく「遅々として終結しない支那事変」への苛立ちからなんでしょうがね。
 1940年に行われた施策としてアタシがパッと思いつくのは「ダンスホール一斉封鎖」です。
 曰く、ダンスホールのような風紀を乱す場所をほっておくことは出来ないってことらしい。
 ダンスホールってダンスをする場所でしょ?そこまで風紀の乱れと関係があるのか?と思われるかもしれませんが、関係あるかないかでいえば、あるわけで。

 昭和のはじめまではダンスホールは健全とまでは言わないけど、ま、男女がペアになってダンスをする、わりと普通の娯楽施設だった。その頃までは男女同伴が基本だったと言います。
 しかし「とある事件」をきっかけに、男女同伴が禁止される事態になった。当たり前だけど、ダンスなんてものは男女で踊るから楽しいのです。野郎同士で踊っても面白くもなんともない。
 しかし男女同伴がダメになった以上、ダンスホールは策を講じなくてはいけないわけで、女性ダンサーを雇いだしたのです。

 客は入り口でチケットを買う。チケットと引き換えに女性ダンサーが付く、というシステムです。
 瀬川昌久氏によると、当時のダンスホールの演奏は一曲3分ほどだったらしい。曲が変わると女性ダンサーも変えなきゃいけない。だからどんどん曲を変えるとどんどんチケットも消費するわけで、店が潤うと。
 これは現今のキャバクラなんかと一緒で、客は短い時間で女性ダンサーを口説き落とさなきゃいけないわけです。しかし「踊りながら」「たった3分」ってのはあまりにも短すぎる。ウルトラマンじゃないんだから。
 となると、もっと直接的な行動を起こす輩も出てくる。
 もちろんダンスをするわけだから身体を密着させたりもするわけで、かなりイカガワシイサービスも行われていた、というのが実態らしい。
 ま、そこを取り出せば当局に目をつけられて当然というか。

 もうひとつ。こっちは本当にくだらない。
 1941年、文部省は国民の体力増進を目的に「歩け歩け運動」というお達しを出します。歩きまくって体力をつけよ、と。なんだそりゃですが、まァホンネは燃料節約(要するに国民よ、公共交通機関に乗るな)だったんだろうけどさ。
 お達しだけではなくNHK(当時はこの名称はない)がこの運動に即した歌まで作ってしまった。それが「歩くうた」です。作詞はなんと高村光太郎。こんな歌の歌詞まで作っていたのか。
 この歌は国民に親しまれていたようで、同年に制作された「エノケンの爆弾児」という映画の劇中にエノケン他が歌うシーンがあります。
 ま、当時は真剣だったんだろうけど、後世になって鼻で笑われることまでやろうとしたってのは、それくらい切羽詰まっていたんだろうね。

 さて、本題の隣組の話です。
 一般的な論を示すため、あえてWikipediaから引用しておきます。

 『隣組(となりぐみ)は、概ね第二次世界大戦下の日本において各集落に結成された官主導の銃後組織である。大政翼賛会の末端組織町内会の内部に形成され、戦争総動員体制を具体化したものの一つである。(中略)5軒から10軒の世帯を一組とし、団結や地方自治の進行を促し、戦時下の住民動員や物資の供出、統制物の配給、空襲での防空活動などを行った。また、思想統制や住民同士の相互監視の役目も担っていた。戦後の1947年、連合国軍最高司令官総司令部により禁止されたが、その後も町内会等は現在に至るまで多くが残存し、回覧板など隣組の活動形式を色濃く残している。』

 隣組は実態を知らない人たちによって美化され続けてきました。まるで町内での助け合いを制度化した素晴らしい制度だと。
 それを助長したのが、徳山璉によって歌われた「隣組」という歌です。

 ♪ ド、ド、ドリフの大爆笑ォ
   チャンネル合わせば顔馴染み〜

 って違う違う。それは替え歌の方。正しくはこうです。

 ♪ とんとんとんからりと隣組ィ
   格子を開ければ顔馴染み〜

 徳山璉は昭和初期の名ヴォーカリストであり、喜劇的演技も得意としていたっていうね、岸井明の先駆的存在でありました。(って岸井明自体がわからないか)
 「隣組」の他にも「侍ニッポン」や「天国に結ぶ戀」などのヒット曲があり、偶然とはいえその歌唱法において完全に植木等のオリジンとなっている「ルンペン節」や珍品中の珍品「なんだ空襲」も歌っています。
 「ルンペン節」などは完全にコミックソング歌唱ですが、「なんだ空襲」や「隣組」は真面目に歌っている。けど真面目といってもこの人の場合天然の「堅苦しくない明朗さ」があるので、自然なユーモアが内包されているんですね。

 作曲は名コンポーザー飯田信夫ですが(ちなみに先に挙げた「歩くうた」も飯田信夫)、作詞があの岡本一平ってのがすごい。高村光太郎もたいがいだけど、よりによって岡本一平とは。もちろん「ゲージュツはバクハツだ!」の岡本太郎の父であり、岡本かの子の夫の岡本一平です。
 ま、ご存知の方には当たり前の話なのですが、とにかく岡本一平の一家は「まとも」じゃなかったのです。ここまで乱れきった家庭も珍しいくらい特殊な一家だった。
 そんな岡本一平が、これ以上はないというくらいの牧歌的で桃源郷感のある歌詞を書いてるのがすごい。当時の人だけでなく、まるで時代も価値観も変わってしまった現代の人にまで桃源郷を見せているんだからすごすぎます。

 しかし「隣組」制度は岡本一平の描いた世界観からはほど遠い。何故ならあの歌はこの制度のマズいところを一切描いてないんだから。ま、そんなこと内務省が許可するわけないけどさ。
 アタシがマズいっつーか問題視しているのは、先ほど引用したうちの『思想統制や住民同士の相互監視の役目も担っていた』という箇所です。
 相互監視のコワさ、をひと言で表現するのは難しいのですが、やってみます。
 隣組なる組織を作るというのは、国内に無数の小団体を作るということになります。ということは無数のボスがいるということに他ならない。
 ボスがまともな人なら何の問題もない。しかし時代が時代です。狂人めいた、利己的なボスが出てこないわけがなく、集団的イジメや村八分のようなことが頻発していた、というのが実態らしい。

 きっとこう書けば「とくに目立つこともなく、悪いこともしてなければ何の問題もないのではないか?」と思われるかもしれません。
 そもそもですが、何をもって「悪いこと」というのか。法に触れてない範囲での善悪の判断は個人の裁量に任されます。それが民主主義です。
 ところが隣組制度があるとそうはいかない。善悪の判断は全部ボスが決める。自分では何の問題もないと思う行為でもボスがダメだと言えばダメなんです。
 しかもダメってのは「止める」とか「諦める」ということではない。そうした考え自体を即刻全否定しなきゃいけないのです。つまり個人の考えだったり、プライバシーは一切、何も考慮されていないのです。
 もちろん全部が全部、そうだったとは言いません。しかし隣組はそうした「小団体のボスをのさばらせることが可能な制度」なのです。

 こうした制度を導入したのは、完全に国の都合です。
 戦前期において、国は個人の思想について手を焼いていた。しかも当時は国家転覆を狙ったテロも頻繁に起こっていた。だから強権的に一部の思想家を抑え込もうとした。そのために特高警察なるものまで作ったわけで。(特高自体はもっと前からあったけど)
 しかしいくら何でも、日本国民全員の思想を統括することなど不可能であり、特高がメチャクチャな引っ張り方をしても、いつどこで、国家に都合の悪い思想が秘密裏に蔓延るやもわからない。
 こうした芽を早いうちに摘み取るのには、町単位で相互監視させるってのが一番手っ取り早いのです。
 だからといって、これは酷すぎる。国全体が刑務所になったようなもので、もはや自由などない。つか仮に脳内だけであっても自由な考えをなくそうとしたんだからね。

 Wikipediaからの引用でもわかるように、隣組制度は1947年にGHQによって潰された。ま、ここまでの悪法なんだから潰されて当たり前です。
 しかし、あろうことか、法でこそないものの、2000年代に入って隣組が復活してきた。しかもアタシが一番恐れる「相互監視」という根幹の部分がね。

 『そもそも、私がネットにはまるきっかけとなった『フォーカス』回収事件(筆者注・「神戸児童連続殺傷事件」で「フォーカス」誌が当時まだ未成年だった容疑者の顔写真を掲載して回収騒動に発展した事件を指す)では、ネットの掲示板は圧力によって規制された情報を交換する解放区だったはず。それが、わずか五年で今度は、封印作品を生み出す「圧力団体」へと変貌を遂げていた。』(安藤健二著「封印作品の謎」より)

 インターネット黎明期にあった、その時代にかかわった人たちの「無限の可能性を秘めた、世界を変えるかもしれないテクノロジー」という期待と裏腹に、現実はそうはなりませんでした。いや、なるにはなった。ただ彼らが夢見ていた「一切の圧力を受けずに本当に言いたいことが言える」世界は蓋を開けてみたら「みんな実は幼稚で、たいして言いたいことなんかなかった。ただただ罵詈雑言を吐きたいだけだった」という悲しい現実が待ち受けていたのです。つまり人間の嫌な、醜い部分が表出しただけの話だった。
 罵詈雑言だけではなく、人間とはかくも他人の足を引っ張りたいものなのか、なんてことまで露呈してしまった。他人の足は引っ張りたい、しかし自分の足は死んでも引っ張られたくない。つか足を見せたら負けの世界だった。
 その結果、インターネットは相互監視の場になってしまった。自由な世界どころか刑務所真っ青の不自由な監視された世界だったのです。

 これ、マジで隣組そっくりで、違いといえば町単位ではなく世界規模になったことと、ボスと言える存在がないだけで、相互監視→私的制裁の流れまで気持ち悪いほど似ている。
 自由な世界の扉を開けてみると、そこはただ無秩序で人間のエゴが剥き出しの世界だった、なんて三文小説にありそうな筋書きですが、ホンモノの隣組よりタチが悪いのは、誰に強制されたわけでもなく自らの手で相互監視の世界を作ってしまったことでしょう。
 ま、人間なんてロクなもんじゃないね。いくらでも桃源郷となりうる世界を与えても結局は自分たちで息苦しい世界に変えちゃうんだからさ。


 (初稿 2009年8月15日更新「サイバー隣組」、2009年8月16日更新「リアル隣組」、2015年8月24日更新「個人の感想ですって奥様!」、2016年1月28日更新「本当はマニアックな藤子不二雄」他・改稿 2018年10月8日)