2003年逃避の旅 後編
 2003年10月24日、東京を出発したアタシは10月28日に奄美大島行きのフェリーの発着場である鹿児島へ高速バスで向かっておりました。
 え?何で東京から鹿児島まで5日もかかるのかって?サイコロでも振って移動してたのかって?まさかまさか。
 いや単に福岡に寄り道してただけなんだけどね。
 
 前回も書きましたが2003年というと我が阪神タイガースが18年ぶりの優勝を決めた年なのですが、日本シリーズのお相手は当時史上最強とまで言われた福岡ダイエーホークス。今のソフトバンクホークスの前身です。
 と言うことは当然日本シリーズは甲子園と、そして福岡にあるヤフオクドーム(当時の名称は福岡ドーム)で行われることに他ありません。
 んで、偶然にも日本シリーズ第6戦のチケットが手に入った。正確には野球にまったく興味のない福岡在住の友人がヨドバシカメラの福引で当てたので譲ってくれたのです。
 正直、行くかどうか迷ってたんです。たしかに行きたいのかと言えばメチャクチャ行きたい。でも何しろ勝負事です。負けた時のショックがハンパないだろうし、ならば逃げ道のあるテレビでもいいかなとさえ思っていたんです。
 ところが事態は急変します。
 アタシがyabuniramiJAPANなるサイトを立ち上げた前々日の10月16日、突然「阪神・星野監督勇退」という報道が駆け巡った。は?そんな馬鹿な。たしかに体調が悪いとは言われていたけど、まさか辞めるとか、そんなことはあり得ない・・・。
 この報道でアタシは完全に心変わりした。勝とうが負けようが星野の雄姿を目に焼き付けておきたい。幸い、奄美大島も福岡も同じ九州だ。ま、かなり距離はあるけどさ。
 最初の予定では東京から奄美大島までは飛行機で行くつもりだったんだけど、予定を変更して福岡経由で行こう、と。
 
 2003年10月28日。アタシはフェリーに揺られていました。
 デッキに出てみる。真っ黒な空と真っ黒な海。それ以外は何も見えない。そして耳をつんざくような「ゴーッ!」というエンジン音。
 これから奄美大島に行く、という感慨は何もなかった。仕事と住居がなくなった、という不安さえ忘れていた。
 頭に浮かぶのは直前の日本シリーズのことだけ。
 阪神の3勝2敗で迎えた日本シリーズ第6戦、つまりアタシが観戦に行った試合です。阪神は見事に負けた。そして続く7戦も負けて日本シリーズで敗退してしまったのです。
 勝負事だから勝ち負けがあるのは当然です。ましてや自分が直接手を下しているわけではないプロスポーツなんだから、すべての結果を黙って受け入れるしかない。これも当然。
 しかし、この日本シリーズだけはどうしても勝ちたかった。この年の阪神のスローガンで言えば「勝ちたいんや!」か。
 暗黒時代だった阪神を優勝出来るまでに引き上げてくれた星野に最高の花道を贈りたかった。そして王手までかけた。つまりあと1勝すれば日本一のところまで来たのです。
 陸地から遠ざかるにつれてケータイの電波がどんどん悪くなっていく中、アタシは星野の会見の書き起こし記事を読んだ。相部屋だったので声を殺して泣きじゃくった。しかし声を殺すのも限界がある。
 アタシは船室から飛び出しました。
 
 デッキでしばらくボーッとしていると、さすがに涙も乾いてきた。とにかく、今、このフェリーは奄美大島に向かってるんだ。これから新しい生活、新しい自分を構築しなきゃいけないんだ。これで、すべて断ち切ろう。仕事のことも、東京での生活のことも。そして阪神のことも。
 最後に、すべてを断ち切るために大声を出した。正確には大声で歌った。なに、いくら大声を出したってエンジン音にかき消されるんだ。どれだけ声を張り上げても誰かに聞かれる心配はない。
 散々大声で歌った後、アタシはこう叫んだ。
 行くぞ!待ってろ奄美大島!!
 
 たぶん直前の、阪神タイガースの、もっと具体的に言えば今岡誠の「死にものぐるい」の姿勢がアタシの中にこびりついていたんだと思う。奄美大島に到着したアタシは性格的に考えられないくらいアクティブに、そして「死にものぐるい」になって動き回りました。
 何しろここに来たのは観光ではない。あくまで「移住のための下見」なわけです。のんびりマングローブやハブとマングースの対決を見に行ってる場合ではないのは当然として、移住のために何が必要なのかだけを考えて行動した。
 名瀬市役所(当時。現在は奄美市役所)や近隣の町役場までIターンの受け入れ情報を聞きに行ったり、前職であるグラフィックデザイナーに近い仕事をされている方にアポをとって訪問したり、マジでその時点で出来る限りのすべてをやったと思う。
 
 奄美大島での出来事で一番忘れられないのは、Iターン受け入れの話を聞くために某村役場に行った時のことです。
 バスで向かったんだけど、何としたことかバスは村役場のはるか手前でストップしてしまった。どうも村役場まで直通のバスはないようなのです。
 歩くか、とも思ったのですが、バスの運転手に聞けば、とてもじゃないけど歩ける距離じゃないという。
 ああ、これはもうどうしようもない。こんなことなら素直に市街地からタクシーを使えばよかった。と言っても後の祭り。何の手立てもなく、その場に座り込むしかなかった。
 それにしても・・・。何だこの暑さは。もちろんね、奄美大島は<南の島>なんだから本土より気温が高いのは当然かもしれません。でも夏じゃないんですよ。11月ですよ。なのにギラギラと太陽が照りつけ、目が痛くなるほど眩しい。
 この「何もないバスの終着点」のことは異様に記憶に残っている。もうどこだったか調べようもないんだけど、今でも奄美大島と言えばこの時のことが浮かぶくらいで。
 
 ま、結局は偶然にもタクシーが通りがかって救われたんだけど、この時の村役場もそうだし、名瀬市役所でも同じで、見事に芳しい答えが返ってこない。
 奄美で応対してくれた人は本当にみな親切っつーか親身になってくれた。それはいくら感謝してもし足りません。
 ただ同時に現実も突きつけられた。例えば島で住居を借りるのが非常に難しい。普通の賃貸物件は「島在住の人間の保証人がいる」とか(んなもんいる訳がない)、公団は空室待ちが何と30年(!)というのだから、これまたお話しにもならない。
 最初は一切職種にこだわらずバイトでもやりながら、とまで思っていたけど、住むことすら不可能なのではスタートラインにさえ立てないわけでして。
 思えば「何もないバス停」に取り残されたってのは象徴だったんだと思う。だからこんなにまで記憶に残ってるんだろうね。
 
 観光ではない、移住のための下見だ!と力みまくって奄美大島まで来たものの、あまりの絶望的な状況に、観光に切り替えるしかなくなってしまいました。
 ま、だからといってマングローブとかは行ってないんだけど、街並みを散策するだけで、やっぱ、ここは本当に良いと思った。聞きしに勝るというか、何もかもが期待以上で、少なくとも奄美大島に目を付けたのは間違ってはいなかった。
 とくにアタシが奄美大島に目を付けるきっかけとなった商店街はマジで良かった。活気もあるし、何より街の人がフツーに利用してるってのが本当に良くて。
 でも、良いと思えば思うほど、悔しさが募る。だってもう、奄美大島に移住することなどほぼ不可能なんだから。
 
 仕事を辞めるひと月ほど前から、アタシの頭の中の1/3は奄美大島のことで占められていました。暇さえあれば奄美大島のことを調べてた。「下見に行く!」と決めてからは、それが楽しみで楽しみで仕方がなかったのは事実です。
 けど、メチャクチャ正直に言えば、完全に退職して、福岡に来たあたりから、ほんの少し醒めていってるってのも自覚していた。
 結局ね、奄美大島の商店街が、とか、南の島で自分らしさを、とかって、典型的な逃避願望だったんですよ。それが本当に仕事を辞めて心理的に<身軽>になってみると、南の島なんて不便な場所よりも都会の方が良いのに決まっている、という当たり前のことに気づいてしまった。そもそもアタシは根っからの都会好きの田舎嫌いだしさ。
 ただこうも言える。一度醒めてしまった気持ちをね、実際に来てみたら「やっぱり移住したい」と思わせた、つまり心根を再反転させた奄美大島はとんでもなく良い場所だったんだろうな、と。
 
 そんなことをボヤーッと考えながら、公園の芝生に腰を降ろして時間を潰していた。もうそんなことでもしなきゃ間が保たなかったっつーか。離島予定日までまだ日があったし。
 ふとグラウンドに目をやると、野球をやってる。野球、野球かぁ。たしかに日本シリーズには負けたけど、精神的にキツい状況の中でアタシを救ってくれたのは阪神の快進撃だったのに間違いないわけで、実際、頭の1/3は阪神で埋められていたんだしさ。
 よくよくグラウンドを見れば、大人と子供が混じって野球をしてる。正確には高校生くらいの子と小学生くらいの子が一緒にやってるんです。
 いいなぁ、こういうの。長らく「遊びで野球をやってる子供」さえ見てなかったのに、高校生とかとやってるとか、どれだけ雰囲気がいいんだよこの島は。
 思えばアタシも野球に興味を持って長い。たしか小学3年の時に甲子園に連れてもらったのが決定打になって野球に、そして阪神に思い入れを持ったんだよな。
 あの試合、田淵が逆転サヨナラ3ランを打って、それで田淵が大好きになったんだっけ・・・。
 
 ・・・それを書こう!
 
 奄美大島のことが1/3、野球のことが1/3、そして残りの1/3を占めていたのは新しく始めた、自分にとって初めてのWebサイトであるyabuniramiJAPANでした。
 野球について熱く語りたい、と思って忙しい最中にオープンさせたんだけど、日本シリーズに負けたことで完全に出鼻をくじかれた。あまりのショックで「マイサイトに野球のことを書く?冗談じゃない。しばらく野球から離れていたい」とさえ思っていた。
 しかし、子供の頃大好きだった田淵(当時チーフ打撃コーチ)は星野とともに阪神を去ろうとしている。いわばアタシを阪神ファンにした張本人が。
 直近の日本シリーズのことを書くのは辛すぎるけど、初めて甲子園に行った時のことを書けば間接的に田淵への、そして星野への鎮魂歌になるんじゃないか。
 アタシはカバンからPDAを取り出した。そして、すべての想いをブツけて、熱い気持ちMAXでyabuniramiJAPAN用のテキストを書き始めたんです。
 たぶんこのエントリがなければyabuniramiJAPANをここまで続けることは出来なかったと思う。それまでも何度か更新はしてたけど、初めて手応えのあるエントリになった。その自信があればこそ、今の今まで、15年以上に渡って続けてこれたんだろうなと。
 
 結果だけ見れば奄美大島という<南の島>への移住は完全に失敗したってことになります。移住への下見のはずがただの旅行になってしまったし、今になって思えば所詮は逃避の旅でしかなかったことは否めない。
 だけれども今に続くかけがえのない土産を持って帰ることが出来た。もし奄美大島に行かなければアタシは、絶対、100%、もうyabuniramiJAPANをやってないと思う。もしyabuniramiJAPANをやってなければyabuniramiJAPANをやることで生まれた様々な出会いもなかったということになるわけで、アレもコレもなかったと思うと空恐ろしい。
 あれですよ。失敗は成功のマザーですよ。と言ったのは誰だったっけ。誰かはわかってるけど、いわゆるひとつの結果オーライなんだから、それで良しとしよう。ね。
 
 
 (初稿 2016年10月18~22日更新「10+3周年記念・奄美に行った頃」、2016年12月27日更新「完全版発掘!」、2017年4月11日更新「唄はなつかし・まんがのうた以外のレコード」、2017年10月3~5日更新「決別に花束を 番外編 ホームページを作りたい!」、2018年7月12~15日更新「変人に花束を 番外編 オキナワまんきつまんぷく旅」他・改稿 2019年5月6、7日)